日本とクルドや中東との架け橋に 「ワラビスタン」次世代に託す希望

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聞き手・山根祐作
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 トルコ・シリア大地震の被災地には、「国を持たない世界最大の民族」とも言われるクルド人も多く暮らしていました。このクルド人のコミュニティーが日本にもあり、集住する埼玉県蕨市や川口市一帯は「ワラビスタン」とも呼ばれます。クルドの人たちはなぜ日本に来て、生活の中でどのような課題を抱えているのか。日本クルド文化協会事務局長で、日本唯一のクルド料理専門レストランも営むクルド人のワッカス・チョーラクさんに聞きました。

 ――トルコ・シリア大地震では、日本で暮らすクルド人のみなさんの家族・親戚や友人たちも被害に遭ったのでしょうか。

 今回の地震の被災地には、蕨市や川口市に住むクルド人コミュニティーの中の多くの人たちの出身地が含まれていました。たくさんの人たちの身内や知り合いが被災しました。家族5人を亡くし、急きょ日本からトルコに帰った人もいます。

 被災地は場所によっては5月まで寒いところもあるので、まず今はテントなど暖かくて安全な場所が必要ですが、これからは心のケアも含めて、被災者たちが普通の生活に戻れるように様々な支援が必要になってきます。日本の震災復興の経験や防災の技術からもきっと、多くのことを学ぶことができると思います。

 ――トルコの政治状況が影響して、クルド地域への支援に影響が出たことはあったのでしょうか。

 政権寄りの首長がいる地域への支援が手厚い一方で、クルド地域への支援が遅れたという状況がありました。クルド人の団体が自ら支援物資を集めようとした動きもありましたが、政府によって止められたと聞きました。災害は人を選んで来るものではありません。国としてまず、政治や宗教、民族に関係なく、国民の誰にも同じような支援をするというメッセージを出すことが必要なのに、それがなかったことはショックでした。

 ――現在、蕨市や川口市の周辺には、「ワラビスタン」と呼ばれるクルド人コミュニティーが生まれています。多くのクルド人たちが日本に来たのには、どのような事情があったのでしょうか。

記事後半では、チョーラクさん自身が日本に来た事情や、2世、3世が抱えるアイデンティティーの問題、ワラビスタンの若い世代に託す夢などについても語ってもらいました。

 トルコ政府は同化政策により、長年にわたりクルド人の権利、言語、政治活動などを認めませんでした。これに対し、1980年代半ばから、独立を目指すクルディスタン労働者党(PKK)が武装闘争を始めました。トルコ軍は、PKKを支援しているとしてクルド人が多く住む地域で掃討作戦を実施し、多くのクルド人が亡くなりました。200万人ものクルド人が海外に逃れ、その一部が、トルコとの間にビザ免除がある日本に来ました。

就労できず、健康保険も入れず

 ――どうして蕨市や川口市周辺にコミュニティーができたのですか。

 クルド人がこの周辺に住み始…

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