医療がなければ人は帰らない 片道5時間、福島に通い続けて12年

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大宮慎次朗
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 その距離300キロ以上。自宅の神奈川県茅ケ崎市から福島県南相馬市の診療所まで、毎週通う医師がいる。

週2日、新幹線とバスを乗り継いで

 「中尾ちゃん」こと中尾誠利さん(52)。12年前の東京電力福島第一原発事故の直後に医療ボランティアとして現地に駆けつけ、孤独や不安を抱える住民の声を聴き続けてきた。

 外科から内科まで、外来患者の診療を担う中尾さんのカルテには情報がびっしり。患者の体調のことだけでなく、家族関係や仕事の近況もメモする。

 本業は産業医の指導などをするコンサルタント事務所(茅ケ崎市)の代表。拠点は神奈川だが、合間を縫って週に2日間、新幹線やバスを乗り継ぎ、片道5時間かけて南相馬市立総合病院付属小高診療所に通う。

 震災直前に医師が不足していた南相馬市小高区の小高病院(当時)の募集に申し込み、2011年春からの赴任が決まっていた。同年5月、原発の20キロ圏内にある病院は避難指示区域内だったが、「行くしかない」と現地に向かった。職員も避難し、医師は常勤の4人しか残っていなかった。

熱中症、この病院がなければ…

 区域内で初めて診療を再開し…

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