第32回佐々木朗希へ「きっと被災地は大丈夫」 母を亡くした幼なじみの思い
変わらないな、と思う瞬間がある。
目の下に数本のシワがくっきりと浮かぶ、くしゃくしゃの笑顔。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に挑む日本代表、「侍ジャパン」の佐々木朗希(21)は思い切り笑う時、小さな頃からこの表情だった。
テレビやスマートフォン越しにその表情を見ると、城西国際大3年の鶴島有基さん(21)はうれしくなる。「いつも野球して遊んでいたんで、『友だち』って感覚は変わらないですよ」
岩手県陸前高田市で生まれ育った。近所に住んでいた佐々木は、保育所に通っていた頃からの幼なじみ。当時の印象は「泣き虫」だ。どうして泣いていたのか分からない記憶も多い。だけど、はっきり覚えていることがある。
「小学校低学年のときのマラソン大会で、5、6位に入っても一人だけずっと泣いていたのが朗希でした」
走り終えた順に並んだ列の先頭のあたり。入賞を喜ぶ同級生に前後を挟まれて、袖で涙を拭い続ける姿はひときわ目立っていた。
「こいつ、めっちゃ負けず嫌いだなって」
お互い、野球をやっている3歳上の兄がいた。
「遊ぶときは、近所の公園に集まって野球。小さい頃から朗希はピッチャーをするのが好きでした」
小学3年で、一緒に地元の野球チームに入った。
「だいたいの同級生は塁間を投げても届かないけど、朗希は届いたメンバーの一人。ボールは『シューッ』と音がしていました」
深い青のアンダーシャツと、左胸と背中に油性ペンで名前を書いた白の練習着。おそろいの格好でボールを追いかけて、うまくなって、試合に出て、6年生になったら大会で優勝して、みんなで強いチームにする――。
想像するだけで、ワクワクした。
でも、当たり前に信じていた未来は訪れなかった。
親しんだグラウンドを津波が…