災害住宅、薄れる住民の交流 コロナ禍が孤立を加速 津波被害の旭市

鳥尾祐太
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 東日本大震災で最大7・6メートルの津波に襲われた千葉県旭市の災害公営住宅(復興住宅)には、いまも32世帯42人が暮らす。震災前に住んでいた地域を離れざるを得なかった住民同士のつながりは希薄で、コロナ禍が孤立を加速させている。震災から12年、課題や必要とされる支援も変わりつつある。

 旭市では震災で336棟が全壊するなど住宅3829棟に被害が出た。2011年5月に200戸の応急仮設住宅が建てられ、3階建ての災害公営住宅1棟(33戸)が14年に完成した。東日本大震災関連の災害公営住宅があるのは県内では旭市と香取市だけだ。

 災害公営住宅に妻と2人で暮らす伊橋孝章さん(80)は昨年、普段よく顔を合わせていた同じ階に住む一人暮らしの70代男性の姿をしばらく見ていないことに気がついた。郵便物もたまったままで、玄関のドアをたたいても反応がなかった。

 伊橋さんから連絡を受けた市の職員がかぎをあけて室内に入ると、男性は食事も満足にとれていない状態で、体調を崩していた。すぐに救急車で病院に搬送されたという。伊橋さんは「(大変な事態になる)寸前だったと思う」と話す。

 災害公営住宅には、震災前のそれぞれの居住地を離れて集まってきており、元々の知り合いは少ない。自治会は組織されているが、住民同士の交流はほとんどなく、年1回開かれる総会が唯一の住民同士をつなぐ機会だったという。

 「仮設住宅の時は50人くらい集まれる集会所があった。ここ(災害公営住宅)でも最初のころはベンチを外に出して集まっていたけど、次第に出なくなってきた」。前自治会長の今川隆さん(74)は振り返る。

 さらに、コロナ禍になると、対面の総会も開かれなくなった。住民も入れ替わり、現在は被災者でない世帯も8戸ある。「新しく入ってきた人は顔も分からない」と今川さんは言う。

 県の事業の中核地域生活支援センター「海匝ネットワーク」のスタッフが、月に1回、14世帯を対象に見回り活動を実施している。手芸教室も月1回開き、今は4人ほどの住民が参加しているという。

 同ネットワークの英一馬(はなぶさかずま)所長(50)は、「10年以上が経ち、身近な人を失った心のケアなど被災者特有の相談はほぼなくなった」と話す。一方、見回り活動を拒否したり、本当は苦しくても「大丈夫」と言ったりする住民がいるなど、被災者に限らない孤立化の問題が顕在化している。

 「(多くの場合)本人からの相談がないと支援できない。制度のはざまにいる人たちをどう支えていけるか」と英さんは話す。(鳥尾祐太)

田中正人・追手門学院大教授(都市計画

 災害公営住宅の入居者への支援では、人的な交流を促すことに先立ち、被災者一人ひとりが、仕事や買い物、通院といったかつての生活行動をいかに取り戻せるかを考えるべきだ。かつての生活行動が戻らないままに、見守りや人的な交流を進めても、必ずしもうまくいかないことが多い。そのためには従来の居住地から離れすぎないことも重要だ。元の居住地には、被災者にとって大切な生活再建の手がかりがある。

 仮設住宅や災害公営住宅での孤独死は、高齢層だけでなく、60歳未満の現役世代にも多いことが分かっている。背景には、失業に伴う社会とのつながりの喪失からアルコール依存に陥り、治療を放棄し、孤立するという悪循環がある。この悪循環を「見守り活動」だけで断ち切ることは困難だ。雇用問題や健康問題も含めた対策が必要だ。

 また、災害公営住宅に限定せずに、住まいや居住地の選択機会があることも大切だ。現行の復興政策は、本来自力再建が可能であった被災者をどんどん災害公営住宅に取り込んでいくしくみになっている。

 今後起きうる災害対応に向けては、こうした災害公営住宅ありきの政策からの転換が必要だ。もちろん災害公営住宅が不要ということにはならない。だが、まずはできるだけ自力再建を支援することが求められる。

 住まいは被災者にとって、ふたたび生活を立て直すための拠点となるべき場所だ。当然ながら、災害公営住宅も例外ではない。被災前の日常が再現されるような暮らし方や住み方を可能にする場となることが求められる。

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