第2回母を失い、在留資格も消えかけた 「俺たちが家族」支えた大槌の仲間

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 飛行機が仙台空港に着陸する直前、客室の窓から高層ビル群が見えた。

 中国・ハルビンから郭偉励さん(30)が来日したのは2009年。日本人と結婚した母、陳秀艶さんを追ってきた。

 十代後半だった郭さんにとって、日本はマンガ「ドラゴンボール」と「スラムダンク」の国。大都会で新しい生活が始まるのだと、不安と期待が入り交じっていた。

 迎えに来た母と空港で合流すると、車は仙台を素通りし、どんどん北へと向かう。

 到着したのは岩手県大槌町。目の前に太平洋が広がり、息を吸い込むたび、かすかに潮の味がする。想像していた日本とはまるで違う、小さな港町だった。

 漁師の義父は再婚で、家には兄と姉がいた。言葉が通じない「新しい家族」とは会話が続かず、すれ違うことが多かった。

 郭さんは建築用の足場を組む会社で働くことになったが、日本語がわからないうえ、経験のない仕事。道具の名前を覚えられず、20人ほどいる職人たちとコミュニケーションが取れない。

 足場用の鉄パイプを、ベテランの職人たちは一度に3、4本、軽々と担いで運ぶが、郭さんは1本担ぐだけでよろけてしまう。その度に大声で怒鳴られた。

 それでも、見よう見まねで半年ほど働き、鉄パイプを一度に3本運べるようになると、職人たちが話の輪に加えてくれるようになった。会話の内容はわからなかったが、仲間として見てくれているという一体感が、うれしかった。

黒い波、真っ赤な空

 2011年3月11日、郭さんは釜石市の建築現場にいた。アパートの建設が終わり、足場の解体作業をしていると、地面が割れるような揺れに襲われた。

 鉄パイプがぶつかり合って、「ガンガンガン」と音を立て、2階部分にいた郭さんは安全帯をつけていたものの、振り落とされそうになった。

 「危ねえ、降りろ!」

 先輩職人の指示に従って足場から降りると、職人たちはなぜか山に向かって駆け上り始めた。

 郭さんはわけがわからないまま、あわてて後を追った。その直後、遠くの海が盛り上がり、真っ黒な波が市街地に流れ込んできた。ある会社の前では、2台の車がエンジンをかけ、駐車場を出ようとした瞬間、先頭の車が動けなくなり、後続の車もろとも黒い波にのまれた。

 郭さんは、大槌町にいるはずの母のことが心配でたまらなかった。自宅は海から数百メートルも離れていない。働いていた同じ建築会社の事務所も海に近かった。

 ほかの職人たちとともに、車で戻ることにした。ところが、道はがれきに覆われ、前に進めない。深夜に車を降り、冠水した道を歩いて町に向かった。足元の海水は刺すように冷たかったが、町の上空は火災で真っ赤に焼けていた。

「母は無事」 そう思ったメールは

 翌日、やっとのことでたどり着いたものの、自宅も事務所も跡形もなく流されていた。いくら避難所を捜しても、母の姿は見つからない。友人の中国人の家を回ったが、目撃情報は得られなかった。

 もうダメかもしれない……。そうあきらめかけた数日後、握りしめていた携帯電話の着信音が鳴った。

 「秀艶さんと一緒にいます」

 母の同僚が、母に代わってメ…

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