浪江の復興拠点解除 帰還住民「自由になった気がする」

編集委員・大月規義
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 福島県浪江町にある1万8千ヘクタールの帰還困難区域のうち、3地区に指定された特定復興再生拠点(復興拠点、計661ヘクタール)の避難指示が31日、解除された。拠点に住所がある801人のうち、解除初日に戻ったのは20人前後とみられる。町の目標では、5年後に1500人が拠点内に住むという。

 午前10時、町の防災無線で復興拠点の解除が告げられた。

 「元通りの自由に、やっとなれた気がする」。末森(すえのもり)地区に住む古内保子さん(73)は実感した。

 いわき市に避難していたが、3月7日から宿泊を始めた。もとの家は解体し、新築した。「娘が心配し、時々、訪ねてくる」

 周囲に帰還した家はないが、100メートルほど離れた近所の人がいずれ戻ってくると聞いている。「除染がこれからなので、帰ってくるまで、もう少し時間がかかるみたいです」

 東京電力福島第一原発事故が起きる前から、買い物は車で町の中心部に行き、病院は隣接する南相馬市に通った。夫の博之さん(75)は「もともと便利な土地ではないので、多くは望まない。それよりも、のんびりできるのがいい。ときどき畑仕事をして暮らします」と話した。

 町によると、31日時点で準備宿泊を申し込んでいたのは、末森、室原、津島の3地区で計12世帯22人。実際にどれだけ居住しているか、今後把握していくという。

 浪江町は6年前、町の中心部にあった居住制限区域避難指示解除準備区域が解除された。今年2月末現在で、町民1万5476人のうち、町内には、移住者を含めて13%の1964人が住む。

 4月1日には浪江駅の近くに、国の「福島国際研究教育機構」ができる。機構でロボットや放射線などの研究者らが居住すれば、中心部の人口は増加する可能性がある。

 ただ、中心部から離れた復興拠点や、拠点から外れた96%の帰還困難区域は課題が多い。吉田栄光町長は「復興を登山にたとえれば、まだ半分も登っていない」と話した。(編集委員・大月規義

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