「信長の野望」に登場の「勇猛」武将 イメージ覆す新発見が次々と

堀川敬部 山田健悟
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 武勇に優れた人物として戦国時代を扱ったゲームにも登場する戦国武将について、これまでのイメージを覆す新たな発見が次々と出ている。

 その武将は、真柄十郎左衛門。越前(今の福井県)の大名・朝倉義景に仕えた。身長は約2メートルもあり、越前に身を寄せた将軍・足利義昭の御前で約3メートルの大太刀を振り回すなど、怪力の豪傑だったとの逸話が残る。

 「真柄直隆」の名前で戦国時代を扱ったゲームなどにも登場。人気歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズでも常連で、コーエーテクモゲームスによると、最新作でシリーズ16作目の「新生」では、合戦に関わる能力値「武勇」が87(100が最高)と高く設定されている。

 華々しいのは1570(元亀元)年の姉川合戦での活躍だ。義景と浅井長政の軍が織田信長徳川家康の軍と戦った。十郎左衛門は奮闘したものの、徳川方の匂坂(さぎさか)式部に討ち取られたとされる。ただ、当時の良質な史料がなく、実態は不明だった。

 しかし福井県立歴史博物館が2021年2月、京都市の古書店で長さ約10メートルの「真柄氏(まがらし)家記(かき)覚書(おぼえがき)」を入手。この書物によると、十郎左衛門はじつは2人いて、直隆の父の「家正」が先に十郎左衛門の号を名乗り、姉川合戦の時には直隆に譲っていたという。

 さらに、匂坂式部が討ち取ったのは直隆ではなく、父の家正だったことも分かった。合戦では2人とも討ち死にしており、同館の大河内勇介学芸員は「後世になって父と子の事績が一体化し、十郎左衛門という1人の人物として伝承されたとみられる」と解説する。

 さらに、十郎左衛門の代名詞である大太刀についても、十郎左衛門だけではなく一族の他の武将も大太刀を使っていたなど、様々な発見があるという。(堀川敬部、山田健悟)

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