あのとき、声を上げていれば 震災遺族の記録映画を撮った監督の後悔

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阿久沢悦子
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 ガシャン、と勢いよく門扉を閉める音が、耳に残っていた。今から30年以上前の記憶になる。

 1990年、兵庫県立神戸高塚高校で遅刻指導で教諭が閉めた門扉に頭を挟まれ、女子生徒が亡くなる事件が起きた。テレビディレクターの寺田和弘さん(51)が卒業してから4カ月後のできごとだった。

在学中から感じていた恐れ

 校門指導は寺田さんの在学中からあった。

 教諭らが門扉を閉めた力は事件の検証でヘルメットを破損するほどの強さだとわかった。怖いと思っていたはずなのに、誰も「やめて」と言わなかった。3年後、教諭は業務上過失致死罪で有罪となり、事件は管理教育を問い直すきっかけになった。

 寺田さんは高卒後、カーレーサーになり、阪神大震災当時はトラック運転手として働いていた。25歳から番組制作会社のディレクターとして、テレビの報道番組に携わるようになり、改めて事件を振り返った。

 「もし僕らが声を上げていれば、彼女は死ななかった。黙っているのは加害者になることだ」

 以来、異議を唱える人がいれば、小さな声でも社会に届けることが自分の仕事と心がけるようになった。

 ビラ配りで逮捕された人から言論の自由について考えたり、DNA鑑定を捜査機関が独占していることに警鐘を鳴らしたり。最近はアイヌの先住権問題に取り組む。

東日本大震災による津波で多くの児童が犠牲になった宮城県石巻市大川小学校の遺族らのドキュメンタリー映画「生きる」が18日に公開されます。寺田さんが初めて監督を務めた映画です。学校で子どもが命を落とすとはどういうことか? 遺族と向き会いながら撮影した思いを聞きました。

 その心がけは、映画制作にも…

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