スラムダンクに憧れた国枝 車いすテニスを変えた技、美学貫いた引退
車いすテニス男子シングルスの4大大会で計28度、パラリンピックで3度の優勝を誇り、日本のパラスポーツ界を長く引っ張ってきた国枝慎吾(38)=ユニクロ=が22日、自身のツイッターで引退を表明した。「ツアーで戦うエネルギーが残り僅(わず)かである事を感じる日々でした」「もう十分やりきったという感情が高まり、決意した」などとつづった。
国枝は昨年7月、ウィンブルドン選手権で初優勝を果たし、4大大会の全てとパラリンピックを制する「生涯ゴールデンスラム」を達成していた。世界ランキング1位のまま現役を退くことになる。
9歳の時、背中の腫瘍(しゅよう)が原因で車いす生活になり、11歳で競技を始めた。2006年に世界1位になると、09年には当時のパラアスリートとして異例の「プロ」宣言。圧倒的な強さで世界のテニス界で地位を築き、スポンサーを集め、日本でパラスポーツの認知を広げる先駆者となった。
16年の右ひじ手術などから復活し、21年の東京パラリンピックでは日本選手団主将を担った。1セットも失わない強さで3度目の金メダルを手にしていた。2月7日に記者会見を開く。
取材メモに残る二つの肉声
車いすテニス界の「生きる伝説」、国枝慎吾(38)=ユニクロ=が輝かしいキャリアに終止符を打った。10度の年間王者、4大大会優勝はシングルス、ダブルスあわせて50度。区切りにふさわしい偉大な数字。余力を残しつつ、欲しいタイトルをすべて手にしての「完全燃焼」だ。
昨年の取材メモで、引退をにおわせる肉声が二つ、記憶に残っている。
7月、悲願だったウィンブルドン選手権のシングルスを制し、パラリンピックと4大大会をすべて制する「生涯ゴールデンスラム」の偉業を成し遂げた。
記者会見で「コート上では『来年も会いましょう』と宣言していたが」、という質問に「これで完結したな。いつでもやめられるなと同時に思ったのは事実ですね」。
素直な吐露に聞こえた。
大会後、しばらくして「引き際の美学」について雑談にまぶして尋ねた。
世界1位のままラケットを置くのか。次代を担う若者に引導を渡される形で、コートを去るのか――。
日本の車いすテニス界には16歳の小田凱人(ときと)(東海理化)という新星がいる。昨年の全仏オープンで4大大会デビューし、国枝が「本当にスーパータレント。テニスもかっこいいし、すごく良い球を打つ。すごく近い将来、トップになる」と太鼓判を押す逸材だ。
いつでも論旨明快、記事にす…