第2回異形の金融政策 転機はマイナス金利 日銀苦しめた「2%」の重圧

有料記事黒田日銀10年 行き詰まった異形の緩和策

女屋泰之 友田雄大 徳島慎也
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 日本銀行の大規模な金融緩和の10年を振り返ると、新しい領域に踏み込むのか、それとも踏みとどまるのか、日銀が問われた局面がいくつかある。

 その大きな分岐点のひとつが、2016年1月の金融政策決定会合だ。

 会合の直前、金融政策を決める投票権を持つ審議委員らに、執行部の案が示された。そこにあったのはマイナス金利政策だった。当時、欧州で導入されていたが、黒田東彦(はるひこ)総裁は会合の直前も国会で導入を否定していた。審議委員の一人は「サプライズだった」と振り返る。日銀内でも極秘裏に検討が進められていたものだった。

 ただ、執行部案に審議委員から強い反発が出た。強力な金融緩和策ではあるが、同時に副作用も懸念される、いわば「劇薬」とみられていたからだ。別の委員は「国民も銀行も準備ができていない」と強く懸念した。

 民間の金融機関が日銀に預ける当座預金残高の一部にマイナス0・1%の金利が適用され、金融機関は日銀に利子を払わなければならない。金融機関がお金をとめおかず、企業などへの貸し出しに回すように促すことがねらいだった。だが、世の中の金利が低くなりすぎ、銀行の収益悪化などの副作用も心配された。

連載 黒田日銀10年 行き詰まった異形の緩和策㊥

世界でも異例の緩和策はどう作られ、なぜ行き詰まったのか。転機は2016年のマイナス金利の導入だった。

マイナス金利に賛否が拮抗 「さらに攻めるのはおかしい」

 ただ、そんな「劇薬」の導入…

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連載黒田日銀10年 行き詰まった異形の緩和策(全3回)

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