沢木耕太郎、ある男を追った25年と50時間 深夜特急と重なった

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北野新太

作家の沢木耕太郎(75)は9年ぶりの長編ノンフィクション『天路の旅人』(新潮社)で、第2次大戦末期の中国西域に潜伏した西川一三を描いた。代表作であり紀行文の金字塔『深夜特急』の発表から36年、二人の旅は共鳴する。

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 1974年夏、26歳の沢木耕太郎はインドのブッダガヤにいた。

 12年後に紀行『深夜特急』として発表することになる長い旅の途中だった。地平線に夕焼けが沈む時間帯になると、菩提樹(ぼだいじゅ)の大木の下で盲目の芸人「スーラー」が叩(たた)く太鼓の音を聞き、彼の歌声に耳を傾けた。

 1948年秋、29歳から30歳になる時期の西川一三(かずみ)はインドのブッダガヤにいた。

 密偵として中国西域に潜入した8年に及ぶ旅の途中だった。やはり、菩提樹の大木の木陰でスーラーが叩く太鼓の音と歌を聞いていた。

 1998年ごろ、沢木が西川に対して行った最後のインタビューで、ふとブッダガヤについての話題になった。そして、どちらも同じような体験をしていたことを知った。

 当時、沢木が出会ったのは老人。26年前に西川が出会ったのは30~40歳。ある人物の年輪としては重なるが、同一人物だったかどうかなど誰にも分からない。ただ、仮に同じ男であったならば、彼は少なくとも26年間は同じ菩提樹の大木の下で太鼓を叩き、歌い続けていたことになる。同時に、長い歳月によって隔てられた二人の旅人が異国の果てにある同じ場所で、同じ体験をし、同じように心を動かしていたことにもなる。

 だから何かが生まれる、ということでもないのかもしれないが、旅の時間が持つ不思議さと美しさを語るイメージではあるだろう。

 沢木は言う。

 「ある種の幻想で、違う時代で同じ人を見ただけかもしれないけど……。でも、若い西川さんと若い僕は今も、自由な旅を終えないまま続けているような独特の感覚があるんですね。『深夜特急』の旅から帰ってきてからも、若い頃の僕はまだバックパックを背負ったままどこかを旅し続けているじゃないかという感覚がほんの少しだけど残ってる。同じように、西川さんにもウールグ(背負子)を背負ったまま、どこかで自由な旅をずーっと続けているような、分身が旅を続けているような感覚が残っていたのではないか、という気がしなくもないんです。終わらない旅をしているかもしれない二人がいるということ、二人の名残のようなものを書きたかった。書いて、一冊の本に定着させたかったんだと思います」

 旅をする無限の自由が世界から失われた数年、沢木は新作の長編ノンフィクションを執筆していた。

 記者が会う度、ノンフィクションに取り組んでいることだけを教えてくれた。積極的に話そうという様子でもなかったが、夜が深まる頃になると、ふと少しだけ語ることがあった。

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 何について、誰について書い…

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    安田峰俊
    (ルポライター)
    2022年12月31日15時54分 投稿
    【視点】

    年末の読書で一気に読みました。かつての『深夜特急』のような著者の沢木耕太郎氏ご本人の旅のルポではなく、西川さんという稀有な旅人の旅と人生を題材にしたノンフィクション。ちょっと変わった本ですが、外出先でもページをめくる手が止まらず、終盤に近づ

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