波乱の半生から、こだわりの個別指導塾へ【前編】
子どもたちと個別に向き合い、考えさせることで志望校合格へ導く。
いじめ、吃音(きつおん)、発達障がいなど、いろいろな理由で学校に行けない子たちに、オンラインで教える。
「アソ エデュケイショナル ラボラトリー」
代表は阿蘇美智代さん、57歳。
社名は、阿蘇さんの教育研究室、といった意味です。
教室は阿蘇さんの自宅の3階。講師は阿蘇さん1人だけ。
そして、子どもの希望、保護者との話し合いをつうじて、いちばん良いだろうと思えるカリキュラムをつくります。そして、1対1の個別指導をしていきます。
この会社を設立したのは、2005年2月2日。この「2月2日」には、阿蘇さんにとって特別な意味があるのですが、それは後編で。
阿蘇さんがしていることは、日本全体から見れば小さなことかもしれません。でも、こういう人が各地にいるからこそ、この国はギリギリ持っているのかもしれません。2回に分けて、阿蘇さんの半生をひもときます。
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大阪府は東大阪市に生まれた。NHKの「舞いあがれ!」の舞台のひとつである。日本中でも、一、二を争う「きつい言葉」として知られる河内弁が飛び交う場所である。
阿蘇の父は不動産業を営んでいた。母は元美容師。二つ下に妹がいた。名は八千代。
さて、阿蘇は幼いころ、「女番長」と呼ばれていた。番長は、友だちがいじめられることを許さない。女子をいじめる男子がいると、立ち向かった。
「あんたら、許さへんで~」
日本有数の「きつい言葉」とされる河内弁である。負けなかった。妹の八千代をいじめるヤツがいたら、どんなに年上だろうが、石を持って立ち向かった。
近所の土手を、数を数えなが…