美術家が起こした「山手線事件」とは 鉄道と美術の150年をたどる
日本に鉄道が走り始めてから150年。1872年は日本で初めて「美術」という翻訳語が用いられた年でもあった。その後、両者は時代をいかに並走し、交錯してきたのか。東京ステーションギャラリーの企画展「鉄道と美術の150年」は、圧倒的なボリュームでその軌跡を振り返る。
「鉄道と美術の150年」は来年1月9日まで。祝日を除く月曜と、12月29日~1月1日は休館。
約150件の作品をおおむね時代順に並べた会場には、熱のこもった解説文が随所にちりばめられ、同館の並々ならぬ意気込みが伝わってくる。鉄道の開業から現在までをたどる間に、戦争や労働、娯楽など多彩なトピックが設けられ、鉄道と美術(と社会)の関わりが立体的に眺められる展示構成。まさに東京駅舎内に位置する美術館として、自らのレゾンデートル(存在理由)をかけて挑んだ企画と言えるだろう。
社会問題やプロパガンダを描く
そんな展示から浮かぶ第一の視点は、「絵画や写真が列車や駅をいかに描いてきたのか」だ。文明開化を華やかに伝える歌川広重(三代)の錦絵が、やがて小林清親のモダンな光線画に代わり、さらには昭和の放浪画家・小林猶治郎のように大胆な色と筆致で描かれた迫力満点の機関車も登場する。戦時中のプロパガンダ雑誌「満洲グラフ」に掲載された田中靖望の写真は、侵略の手段ともなった特急列車「あじあ」の姿をヒロイックに称揚しようとする意図があからさまににじんでいる。
富士山と汽車を組み合わせた構図で新たな名所絵を生み出したり、農村に延びる線路で旧来の生活との対比を物語ったり、人であふれる路面電車の駅で社会問題としての「通勤地獄」を活写したり――。画家や写真家が鉄道に向けた様々なまなざしと、そこに託した意味や背景を見比べるだけでも数多くの発見がある。その中からは、極楽行きの汽車を描いた河鍋暁斎から、戦後の中村宏や横尾忠則らに至るまで、鉄道が画家たちの幻想をかき立てるモチーフであり続けてきたことも見えてくる。
一方、美術ファンにとっては「鉄道が美術に何をもたらしたのか」という視点こそ、本展の最大の見どころかもしれない。「主題」としてはもちろんのこと、鉄道は芸術家に新たな表現の「形式」さえも与える存在だったと言えるのだ。
パフォーマンスの舞台となった鉄道
その筆頭として語るべきは…