「真実は世の中を救う」 書き続けた佐野眞一さん 変化した社会の目

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聞き手・真田香菜子

評論家・専修大学教授の武田徹さんに聞く

 ノンフィクション作家の佐野眞一さんが9月26日、75歳で死去した。人権意識の高まりや出版不況など、ノンフィクションを取り巻く環境はこの30年で大きく変化した。佐野さんの作品や取材手法について、メディア社会学が専門の評論家で専修大学教授の武田徹さんに聞いた。

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 「ノンフィクション作家」という言葉が似合う一人で、ノンフィクションの過渡期をまたいで仕事をした書き手だった。

 佐野さんは1947年生まれで、沢木耕太郎さん、猪瀬直樹さん、吉田司さんら活躍したノンフィクション作家と同じ世代だ。しかし彼らに比べ、評価されるのが遅かった。たとえば大宅壮一ノンフィクション賞だと、沢木さんは79年、猪瀬さんは87年、吉田さんは88年に受賞したが、佐野さんは97年になって民俗学者・宮本常一の評伝『旅する巨人』(96年)で賞を受けた。元読売新聞社主・正力松太郎の評伝で、完成までに9年を要したという大作『巨怪伝』(94年)で受賞できなかった時には、佐野さんも悔しかっただろう。

親原発派と反原発派のはざまを

 私は日本の原子力受容史を調べようと『巨怪伝』を資料として読んだが、初めて知る情報が多く、驚いた。原子力受容をめぐっては、親原発派と反原発派が書いた本はあったが、それらのはざまにあって触れてこられなかった人や情報が同書に取り上げられていたからだ。

 一方、ほかの本の内容を引用する手法については、疑問に思う部分もあった。元報知新聞記者で正力の懐刀だった柴田秀利に関する記述が、柴田による自伝の記述内容と酷似していることに気づき、本人に指摘したことがある。本文中に引用範囲などを明示しない書き方に粗さを感じたからだが、佐野さんからは「巻末に参考文献を載せている」といった返答で特に問題を感じていないようだった。後に、盗作と騒がれる事態とも関連するエピソードだと思うが、佐野さんは、学術論文のような詳しい引用の表記はノンフィクションに似合わないという考え方で、それは当時のノンフィクション界の基本認識でもあったのだろう。

 話題になった『東電OL殺人事件』(2000年)では、丹念な取材で一般人である被害女性の家系や行動遍歴を細かに記した。本のなかで佐野さんは、「事件の真相にできるだけ近づくことによって、亡き彼女の無念を晴らし、その魂を鎮めることができれば」と書いている。本人が他人には知られたくなかっただろう事実を暴露しても、ことの真相が明らかになれば本人も最後には報われる、ノンフィクションは真実を突き止めることで公益性を持ち、世の中を救う、と佐野さんは信じていたように思う。

 だが、そうした佐野さんのやり方は、徐々に世間とずれはじめていた。社会全体の人権意識の高まりから、被害者のプライバシーを伝える報道に厳しい目が向けられ始めていたからだ。

 同時に、00年代には出版不況も深刻になり、ノンフィクションの連載媒体だった月刊誌が次々と休刊していった。09年1月号をもって「月刊現代」がなくなり、佐野さんは「ノンフィクション界に大きなダメージを与えた」とエッセーに書いている。この頃からノンフィクションの書き手は、困難な状況に向き合うことになった。

主戦場は月刊誌から週刊誌へ

 月刊誌の連載は、予算と時間…

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