羽生結弦がくれたきっかけ 券も持たず日中のファンが声をそろえた日
冬季五輪が開かれていた今年2月10日、北京の首都体育館前に「羽生結弦」と書かれた垂れ幕やプレートを持った大勢の男女が集まっていた。
誰もが、祈るような視線を手元のスマートフォンに向けている。五輪の生中継を見るためだ。
この日、目の前の体育館で開かれていたフィギュアスケート男子フリーに、羽生選手が登場するところだった。
中国の「羽生ファン」数百人 中心に1人の日本人女性が
新型コロナウイルス対策のため、チケットは一般販売されていなかった。それでも近くで応援しようと、会場前に中国のファン数百人が詰めかけていた。
「ユヅ、頑張れ あなたは私のひかり!」
集まったファンたちが、そう日本語で声をそろえた。かけ声を教えたのは、日本人女性の岡本直恵さんだった。その日は、羽生選手の好きな「くまのプーさん」と同じ黄色のダウンジャケットを身につけて現地にいた。
羽生選手を北京で迎えること。それが岡本さんの7年にわたる目標だった。
山形で公立中学校の音楽教師…
- 【視点】
中国で日本語を教える岡本直恵さんが蘇州で暮らし始めたのは、2014年の春。その1年半ほど前、中国では100都市以上で激しい反日デモが繰り広げられました。 それでも、岡本さんは「初めて暮らす中国は、思っていた以上に肌が合った」とおっしゃって
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