まだまだ勝手に関西遺産
放出は、「ほうしゅつ」ではなく「はなてん」と読む。大阪の地名のぶっ飛んだルビに関西人が驚かないのは、あのCMのおかげだろう。ああ、歌わずにいられない。
夜の寝室で、半裸の美女がベッドでウフン。そこに狼(おおかみ)の仮面をかぶった侵入者が現れる。女は問う。
「あなた、一体誰?」
「♪ハナテン中古車センタ~」
説明もなく、急に高らかに社名を歌う。
そして、「あなた、車売る? 私、高く買うわ」。1970年代から関西のテレビで放送されてきた。
変なCMの会社だなあ。気になっていたが、すでに当時の会社はなく、周囲に聞いても「ああ、あのいやらしい……」と遠い目に。いやらしい先の情報がほしい。
副社長だった北野増隆さん(75)が教えてくれた。
「もう時効や」
「頭金」と「現金」読み違え…
ハナテンは63年、大阪で創業した。後に会長となる故・山本博さんが中古車ブローカーの男性と作った会社で、始まりはわずか5台から。
当時は客の足元を見て値を決めるアングラな浮草稼業の業界だったが、「会長は商売上手でなあ」。
商品の車に、筆で「頭金10万円」と書いた札を貼る。すると客がふらり。達筆で崩し字の「頭金」が、遠目から「現金10万円」に見える。
あ、読み間違えたな。頭をかく客の横にはセールスマンが――。客に損はさせぬ売買で信頼を得ていった。
欲深くエグ味ある商魂。
けれど店も客も利を得る銭の和平交渉は天才的だった。
追い風になったのがラジオ・テレビのCMだ。
制作した広告会社の井上勝蔵さん(83)によると、当時車の客は男性が多く、お色気路線があたった。
ぐんと知名度を上げ、上昇気流に乗る。
在庫ゼロのオンライン店舗を百貨店に置いたり、車のオークションでは社員が一押し3千円のボタンを連打して上玉を競り落としたり、90年代に上場会社へ。
バブルに乗って不動産も手がけ、北新地にクラブを3軒持った。接待用のクルーザーに別荘もそろえ、芸能人との交流もあった。
河内音頭になった半生
全盛期のハナテン会長を泣かせた男がいる。
河内音頭の河内家菊水丸。
喉(のど)一つで京に御殿を建てたやり手で、湾岸戦争前のイラクのフセイン、ソ連崩壊直前にはエリツィン、イタリアの料理店地下ではマフィアのボスと、各界のドンに向け音頭を捧げてきた。
車の競り市場で会長の音頭を披露したのは約30年前のこと。
「これぞ大阪の土性骨の人。小さい時からCMが目にもこびりついてて」
「♪常識破りの風雲児 浪花で知らない人の無い」と歌う会長の半生は山あり谷あり。
故郷は奈良の村。木炭売りやコンニャク芋の仲買で身を立てる。
ハナテンの会長の涙、そしてCMに込めた思いとは。記事後半で。
村を捨て、生き馬の目を抜く…