佐藤栄作元首相の国葬を見送ったのは、法的根拠を欠いていたことに加え、立法府の一角を担う野党が反対するなか内閣法制局が「三権の了承が必要」との見解を示したためだった。その8年前、吉田茂元首相の国葬を実施する際は、野党を説得して内諾を得ていた。幅広い合意形成が求められる国葬をめぐり、共通するのは野党への配慮だ。岸田政権の判断と大きく異なる。
記事の末尾には、平野貞夫元参院議員とのやりとりの一問一答があります。
平野貞夫元参院議員は朝日新聞に対して、戦後初となる吉田氏の国葬を決める過程についても証言した。当時は、園田直衆院副議長の秘書だった。
「イエスともノーとも言わず」に黙認
吉田氏が亡くなったのは1967年10月20日。平野氏は外遊中だった佐藤氏から、園田氏への電話を取り次いだ。電話口から漏れ聞こえる佐藤氏の声は興奮気味で「国葬にしたい。超法規的措置でしかできない」と繰り返していたという。
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- 【視点】
時々の内閣が吉田茂元首相の国葬(首相経験者に対して戦後初)に踏み切り、佐藤栄作元首相の国葬を見送った当時、衆院事務局で副議長や議長の秘書だった平野氏の重い証言です。共通するのは、事前に国会に根回しをしていることです。戦後の国葬のあり方がなか
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