第115回ある隊長の告白「私は徹底抗戦の指令を破った」 キーウ、激戦の証言

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キーウ郊外モシュン=高野遼

 ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊に、あまり知られていない激戦地がある。

 村の名はモシュンという。どれだけの人が聞いたことがあるだろうか。ロシア軍による民間人の虐殺行為があったブチャのすぐ隣、森に囲まれた人口1千人ほどの小さな村だ。

 「私はこの村で戦っていた隊長の1人です」。検問所で出会った軍服姿の若者は言った。

 「我々は360人で戦いました。最後まで無事に生き残ったのは私を含めて20人あまり。キーウを目指す数千人のロシア軍をここで食い止めたのです」

 兵士はアレコ・チェティヤ(25)。ウクライナ陸軍「第72機械化旅団」の上級中尉だと名乗った。

 360人が戦って、無事に生還した兵士は20人あまり――。信じがたい数字だが、チェティヤは続けた。「約5%しか最後まで生き残らなかった。ここでは、そういう戦いがあったのです」

 2月から3月にかけて繰り広げられたキーウ攻防戦。拙攻を繰り返すロシア軍をウクライナ軍が打ち負かした――。そんなイメージを持つ人も多いかもしれません。しかし、実際に戦地を歩くと、ウクライナ軍にも壮絶な犠牲を強いる過酷な戦いがあったことが見えてきました。

首都まで3キロ、勝負分けた激戦地

 「ここを通ればキーウへの最短距離になる。だから激戦地になったのです。両軍が村を挟んで撃ち合いになりました」

 村の中に進むと、チェティヤの言葉の意味が分かった。壊れていない住宅を探すのが難しいほど、あらゆる建物が破壊されていた。

 「9割の住宅が壊された」と住民たちは言った。キーウ州内でも最大規模の被害にあたる数字という。

 ウクライナ軍のザルジニー総司令官は、イルピンと並んでモシュンをキーウ攻防戦における「勝負の分かれ目」に挙げている。

指令は「イルピン川を渡らせるな」

 キーウ市内までわずか3キロ。兵士たちは首都の間際で、多大な犠牲を払いながらもロシア軍を食い止め続けた。

 「イルピン川を渡らせるな」

 これがモシュンで戦うウクライナ兵に与えられた指令だったという。

 キーウ北西部での戦いを担ったウクライナ陸軍「第72機械化旅団」のうち、3人が顔を出さないことを条件に取材に応じた。3人はセルギー(36)、オレクサンダー(40)、ユーゲニー(23)と名乗り、名字は明かさなかった。

 最前線での戦いは熾烈(しれつ)を極めたという。

 3人はいずれも「歩兵」。イルピン川を挟み、キーウを目指すロシア軍と向き合った。昼夜を問わず、激しい砲撃戦が2週間以上も続いた。

 戦力はロシア軍が圧倒的に優勢だった。兵士の人数も兵器の数も、ロシア軍の方が「数倍以上」だったという。

 「相手のドローンが常に上空を飛んでいた。上下左右に動き回り、撃ち落とすことなんてできない。我々の居場所は丸見えだった」

写真・図版

 一方のウクライナ側には当時、ドローンはなかった。地図を片手に、砲撃の音などを頼りに相手の位置取りを見極め、味方の砲兵に伝えるしかなかった。

 「敵の砲撃部隊を撃破する必…

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高野遼
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