5世紀の日本列島、権力は揺れていた? 文献と考古からの新視点

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編集委員・中村俊介

 日本列島を貫く専制支配が確立したのはいつか。巨大古墳が出現する5世紀こそ、大和王権の土台が飛躍的に固まる画期だったとの見方は強い。が、実際は複数の勢力が全国各地で自立していたのではないか。そんな列島社会の多重構造を主張する見解が文献史学と考古学の双方から提出され、注目を集めている。

 古代国家の節目を5世紀に置く研究者は少なくない。中国の史書『宋書』の倭国伝には中国に使いを出した「倭(わ)の五王」が登場し、武と呼ばれる最後の倭王はその上表文で、ようやく世を平定したと高らかにうたう。『日本書紀』からは、倭王武と同一視される雄略天皇が各地にひしめく有力勢力を弾圧し、全国支配を打ち立てたかに読み取れる。

 それを裏付けるように稲荷山古墳(埼玉県)出土の鉄剣や江田船山古墳(熊本県)の鉄刀には雄略を示すワカタケルの名が刻まれ、列島の東西で中央への権力集中がうかがえるし、大阪平野に出現する大規模古墳群も暗示的だ。

 これに対し、「5世紀に安定…

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