「日中蜜月」って想像できないけど ヒット曲で見る日中、心の50年

有料記事

山根祐作

 日中国交正常化から9月で50年となるのを前に、両国の若者でつくる交流団体などが主催する「日中学生大討論Ch 日本と中国の50年、ヒット曲からみる。」が18日、東京都内で開かれた。日中関係の歩みを見つめてきた一線の中国研究者と、若い視点で相手国に関心を持つ大学生らが、日中両国のヒット曲を一緒に聞きながら意見を交わした。国交正常化から「日中蜜月」期を経て、浮き沈みを繰り返してきた日中関係。その中で歌い継がれた曲の数々に注目した討論会の議論を紹介しながら、この50年間を振り返る。

 まず、最初に会場に流れたのは、田中角栄首相と中国の周恩来首相が日中共同声明に調印し、両国の国交が正常化された1972年の翌年、日本でヒットした小坂明子の「あなた」だった。

 この曲がはやった頃15歳だったという東京大教授の高原明生さんは、「国交正常化したときは、すごい中国ブームだった。パンダも中国から来て、日本中が沸き立った」と当時の様子を語った。日中間の相互認識については、「日本には(日中戦争の)贖罪(しょくざい)意識を持つ人が多かったし、中国の指導者の間では、それを許そうという態度を示す人が多かった」という事情も背景にあり、お互いに強い親近感を持っていたと説明した。

 続いて会場に流れたのは、文化大革命が終わり78年から改革開放路線にかじを切った中国で、多くの人たちに親しまれた芹洋子の「四季の歌」だ。

「春を愛する人は…」 上海に初めて花屋が

 79年から81年まで上海に留学していた静岡県立大教授の諏訪一幸さんは、当時の中国社会について「上海ですら人々は外国人を見たことがほとんどなかったので、とても珍しがられた。社会主義のはずの中国に物乞いがいるのを見て衝撃を受けた一方で、街に初めて花屋ができているのを見つけて驚いた。政治から経済の時代になり、これからは豊かになっていけるんじゃないかという期待に満ちた明るい時代だった」と話した。

 78年に日中平和友好条約が調印され、80年代にかけて「日中蜜月」の時代とも呼ばれた。会場では、今も中国で歌い継がれている谷村新司の「昴」が紹介された。日本の音楽のみならず多くのドラマや映画も中国に紹介され、高倉健、山口百恵など日本のスターが、中国でも熱烈な支持を受けた。

 高原さんは、この時期を振り返り「お互いについて徐々に知るようになる、恋愛が始まった時のようだった。貿易が盛んになって日本の自動車や電化製品などがドーッと中国に入っていったこともあって、日本のイメージはすごくよかった。当時中国でタクシーに乗ったとき、ニコニコした運転手さんに『日本人っていうのは、中国人の末裔(まつえい)なんだよね』と話しかけられたこともあった」と話した。

 ゴダイゴの「ガンダーラ」は…

この記事は有料記事です。残り2700文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら