山陰のまちに眠っていたピカソの器 「思いもよらぬことであろう」
20世紀美術の巨匠パブロ・ピカソ(1881~1973)が作った陶器が、山口県長門市にこのほど寄贈された。ピカソは画業のかたわら、南仏カンヌに近い陶器の町・ヴァロリスで陶芸の魅力にとりつかれ、4千点を超える作品を製作したとされる。そのひとつが海を越え、山陰のまちに眠っていた。
茶色の碗の内側に、放射状にのびる線の模様が刻まれている。この器は、ピカソの製作に協力した陶房が出したカタログに掲載されている。タイトルに「Sea―urcin」(ウニ)。同じものが100点製作されたとある。
半世紀前の茶会に登場
〈東洋の一画人が、この雲丹(うに)の丼碗で茶を喫しようとはピカソ大人(たいじん)も思いもよらぬことであろう――〉
「芸術新潮」の1967年11月号に掲載された随筆「ピカソ碗の茶会」の一節だ。
書いたのは、長門市出身の洋画家・香月泰男(かづきやすお)(1911~74)。抑留体験に基づく「シベリア・シリーズ」で知られる。
香月は56年11月、南仏を訪れ、ヴァロリスでピカソが構えた窯場で碗を入手した。それがこの「雲丹の丼碗」だった。
香月が愛でた「歓奴」
購入したのかは定かではない…