「普通の青年」か「カリスマ」か 日本赤軍メンバーを巡る二つの記憶

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エルサレム=高久潤
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 いつも通る道だった。アブラハム・カツィールさん(81)はその日、母を助手席に乗せて車を走らせていた。夕方の航空便で帰国する父を迎えにいくためだ。「父は著名な科学者でした。国際学会の発表者として数週間ドイツに滞在し、戻ってくる予定でした」

 空港の送迎場所で、ガラスの仕切り越しに父の姿を見つけた。ただ、その姿はあまり記憶に残っていない。次の瞬間の出来事が、あまりに鮮明に、脳裏に焼き付くことになったからだ。

 突然何かがはじけ、ほぼ同時に目の前のガラスが砕けた。「テロだ」――。軍隊での経験が、とっさに体を動かした。横に立っていた母を助けねば。かぶさった。

 1972年5月30日、イスラエルのロッド国際空港(現ベングリオン国際空港)。新左翼運動の過激派グループ「日本赤軍」に所属する日本の若者3人が銃を乱射するなどして、死者26人を出す事件が発生した。父は犠牲者の一人になった。

 父の名前はアーロン・カツィール(1914~72)。イスラエルを代表する科学者で、物理化学分野などでその最先端を担う存在として世界的に知られていた。長男でテルアビブ大教授を務めてきたアブラハムさんは、父と同じ科学の道を歩んでいた。

 変わり果てた姿で、もう息をしていない父と病院で対面した。日本の若者3人が起こした事件であることは、後からニュースで知った。

 日本? 文学作品を読んだことがある程度でなじみがない。だが、父が犠牲になるのは理不尽だと思いつつ、事件自体が「ありえないことだ」とは感じなかった。

「9・11に匹敵」

 「テロは決して遠い存在では…

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