1980年代に靴のデザイナーとして活躍した熊谷登喜夫(1947~87)。40歳で死去し、活動期間は短かったが、ユニークでモダンなデザインは今も色あせない。京都服飾文化研究財団(KCI)は、生誕75周年に合わせて企画展を開いている。
KCIギャラリー(京都市下京区)で開催中の展示会場には、財団が収蔵するトキオ・クマガイの靴が約40点並ぶ。モノトーンのシックなひも靴。ネズミやテントウムシを模したパンプス。「食べる靴」シリーズには、食品サンプルのように赤飯を樹脂で模したげたもある。タイムレスなデザインは、全く古さを感じさせない。
なぜ靴に興味を持ったのか。熊谷は1987年の雑誌「ハイファッション」でこう語っている。「モードの中で、常に脇役としか扱われなかった靴に、もっと現代的で、ウィットに富んだ変化のあるデザインがしてみたくなったからだった」
KCIの石関亮(まこと)キュレーターは「ユーモアと独創性で靴のデザインの幅を広げた」とその功績を話す。
熊谷は仙台市の生まれ。1966年に文化服装学院に入学し、在学中に新人デザイナーの登竜門とされる装苑賞を受賞。70年にフランスへ渡り、カステルバジャックを経て、フリーのデザイナーとしてフィオルッチなどにデザインを提供した。81年、パリのビクトワール広場に開いたブティック「トキオ・クマガイ」には、婦人靴をメインに、既製服やアクセサリーなども置いた。パリには計3店舗を構えた。
一方、日本ではメンズの既製服も手がけた。
毎日ファッション大賞を受賞した87年、病気のためパリで死去。ブランドはアシスタントを務めた永澤陽一、日本でのブランド展開に携わった松島正樹の両デザイナーが引き継ぎ、92年まで続いた。
展覧会が始まってから、KCIにはかつて熊谷と一緒に仕事をしたという人などから情報提供の連絡が来るという。石関キュレーターは「彼の仕事を知っている人には、もっと光が当たるべきデザイナーだという思いがあるのかもしれません」と話す。
6月24日まで。デザイン画や時計なども展示している。予約制で同財団のホームページから申し込む。入場無料。土日・祝日は休館。問い合わせは同ギャラリー(075・321・9221)。記事中の靴はいずれもトキオ・クマガイ。写真は京都服飾文化研究財団提供、熊谷登喜夫氏遺贈、林雅之氏撮影。(長谷川陽子)
国際ファッション専門職大学学部長の永澤陽一(64)は、トキオ・クマガイでチーフデザイナーとして働いた。熊谷のデザインに対する考えなどを聞いた。
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40年ほど前、名古屋モード学園を卒業後に旅行のつもりで行ったパリの街並みに感動して、言葉も話せないのに働きたいと思いました。ある日、道を尋ねた女性が服飾学校の学生で、パリではどうやって就職するのかと聞いたら、自分でデザイン画を持ってメゾンを回るんだと教えてくれた。とりあえず日本人で一番有名な高田賢三さんの店に行ってみようとバスに乗ったら「トキオ・クマガイ」と書かれた店のファサードが見えたのです。当時は熊谷登喜夫さんのことを知らなかったので、免税店か何かと思って通り過ぎました。
ビクトワール広場にあったケ…
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