ロシアの中の抗議、沈黙の意味を翻訳する 歴史が示す「今の危険度」
奈倉有里さん|ロシア文学翻訳者
ウクライナ侵攻のさなか、ロシアの中にいる人たちは何を考えているのか。言論弾圧下のその声は聞こえにくい。言論の自由はいかに失われてきたのか。侵攻が終結した時、残った憎しみを超えるため言葉に何ができるのか。侵攻開始後に中の人たちが語る言葉を翻訳してきたロシア文学翻訳者・研究者の奈倉有里さんに聞いた。
なぐら・ゆり
1982年生まれ。ロシア国立ゴーリキー文学大学卒。博士(文学)。ロシア詩、現代ロシア文学を研究。著書に「夕暮れに夜明けの歌を」「アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯」。訳書にミハイル・シーシキン「手紙」、サーシャ・フィリペンコ「理不尽ゲーム」ほか。
――ウクライナ侵攻の開始をどんな思いで見ましたか。
「ロシアの友人たちの顔が思い浮かびました。ウクライナに何のつながりもない人はまれで、両方に出自を持つ友人も、ウクライナに家族がいる友人もいます。私も身を引き裂かれる思いでした。友人や作品を翻訳してきた作家に連絡を取ると、侵攻に賛成している人は誰一人いませんでした」
――侵攻直後から4月まで、ロシアの知識人や友人たちの、戦争に抗議し嘆く言葉を立て続けに翻訳し、投稿サイト「note」や雑誌で紹介していました。
「『これまで何をしても政府を止められなかったんだから、今さら止められないのはわかってる。でもだからといって“自分がやったんじゃない”なんて言えない。僕たちがやったんだ』といった友人たちの無念の言葉、『長い時間をかけて真綿で首を絞めるように言論の自由が弾圧され、人権が無視され(中略)その果ての戦争なのだ』(父がロシア人・母がウクライナ人である作家のミハイル・シーシキン)といった知識人たちの言葉を、緊急に翻訳しました」
支持率の高さ 「沈黙と恐怖の増大を示す」
――政府系の世論調査機関だけでなく独立系のレバダセンターによる調査でも、80%前後がプーチン支持の結果ですが。
「支持率の増大は、沈黙と恐怖の増大を示すものだと思います。政府に賛同していないことが少しでも周囲に知れるだけで、警察から拘束され、職を追われ、その他ありとあらゆる危険が考えられる。そういう状況では、匿名でも本心は答えない人や、回答しない人もいるのではないでしょうか。
自由な統計調査ができない状況は、2017年以降急激に進みました。レバダは16年、与党の支持率が大幅に落ちたという統計を発表した直後、政府から、『スパイ』のレッテルである『外国エージェント』と認定されました。それが脅しとして働いたのか、その後の調査では誘導尋問のような質問が行われたこともあります。数字をそのまま信用できるか疑問です」
――なぜロシアの中の抗議の声を伝えるのですか。
「日本の報道からは、抗議している人の姿が見えないと感じたからです。ロシア=悪と、国という属性で中にいる人のことを決めつけるようになると怖い。一番問題なのは、意図せず、日本人の抱くロシア像がロシア政府の望む『私たちは国民に支持されている』という姿に近づいてしまっていることです。無理解な状態に暴力性や攻撃性が加わると、ロシア語やロシア文化など『ロシア』的なものをひとくくりにした上での攻撃が生まれてしまうのも危険です。世界にそうした状況があると、国外に逃げてそこで仕事を得て生活することはできない、というロシアの一般国民の絶望につながります」
言葉を無効化する「スパイ」認定
――発言を翻訳した人たちは今どういう状況にあるのですか。
「一般の人たちは、職を失っ…