「僕らの仕事は電車止めること」 語り伝える17年前の事故の教訓
岩本修弥
107人が亡くなった2005年のJR宝塚線(福知山線)脱線事故から25日で17年になった。JR西日本では事故後に入社した社員が約6割に達する。若い社員らに教訓をどう浸透させていくか。現場では模索が続いている。
兵庫県尼崎市の事故現場に整備された追悼施設「祈りの杜(もり)」。今月中旬、JR西京都支社の「語り部」である大塚智之(ともゆき)さん(37)が、若手の運転士や車掌ら計20人を前に、17年前の経験を語った。
2005年4月25日、入社3年目の車掌として京都で働いていた。事故の一報はテレビのニュースで知った。
あの日、JR西の社員は何を経験したのか。「語り部」は何を、何のために伝えていこうとしているのか。記事の後半では設立15年を迎えた研修施設の取り組みも紹介します。
午後から大阪行きの電車に車…