近藤勇が身につけた?甲冑、富山の寺に 寄進した幕臣の思惑を探った

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竹田和博

 幕末に活躍した新選組局長、近藤勇が身につけたと伝わる甲冑(かっちゅう)が、富山県内の禅寺で見つかった。なぜ、新選組との関わりが薄いとされる富山に――寺の記録には、近藤と関わりがあったとされる一人の幕臣の名前が記されていた。

 その寺は、富山県高岡市にある臨済宗の古刹(こさつ)、国泰寺(こくたいじ)。約700年前に創建され、江戸時代には住職が将軍にあいさつできるほど高い格式があったという。幕府とゆかりが深く、一部は失われたが、いまも3代将軍、徳川家光ら歴代将軍の位牌(いはい)が安置されている。

 そうした歴史ある寺で2020年秋、大掃除の際、1944年作成の財産目録「国泰寺宝物什器(じゅうき)控」が見つかった。そのなかに、目をひく記述があった。

 「鎧(よろい)」「新選組隊長近藤勇ノ著セシモノニテ 鉄舟居士寄進ノモノ 一具」

 鉄舟とは、新選組の前身「浪士組」の立ち上げに関わり、後に江戸城の無血開城にも貢献した幕臣、山岡鉄舟のこと。

 寺は、国泰寺を研究する富山県射水市新湊博物館の松山充宏・主査学芸員(日本中世史)に相談。その後、お経を納める蔵から甲冑が見つかった。

甲冑はどのような経緯で寺に持ち込まれたのか。研究者の見立てを記事後半で紹介します。甲冑は6月26日まで、新湊博物館で開催される企画展「武士の時代」で展示されます。

 寺に残る甲冑はこの一式だけ…

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