第1回本当の子じゃなかった僕は誰? 「生きてつぐなう」ために決めた覚悟
2013年の冬、休日の午後のこと。当時高校生だった男性(26)は、自宅で数学の問題を解いていた。
机の向こうに父が腕を組んで座り、じっと様子を見ていた。いつものことだ。
3次関数か微積分か、なかなか解けずにいると、父が「なんでできないんだ」とイライラしはじめた。これもいつものことだ。
ただこの日は怒った拍子に、こう口を滑らせた。
「おれの本当の子じゃないから、こんな問題も解けないんだ」
ああ、そうだったのか。ストンと腑(ふ)に落ちた。
血のつながりがないなんて、それまで考えたこともなかった。でも、自分になにかできないことがあるたび父が怒る理由が、やっと分かった気がした。
ふだんおとなしい母が「なんで言っちゃったの! 20歳まで言わない約束だったのに」と泣いて取り乱した。
父は母に責めたてられながら、お前はおれたちの本当の子ではない、「特別養子縁組」という制度で親子になった、跡取りが欲しかった、と明かした。
そして、このことは絶対だれにも言うな、と釘をさした。
「じゃあ僕が死んだおばあちゃんに似てるっていうのはうそだったの?」
そんな質問が口をついた。
「それは本当だ」という父に、あとは何も聞く気にならなかった。
わあわあ泣く母と、おろおろする父を、ただ黙って見つめた。
なんだか映画か小説の世界のようで、リアルな自分に起きたとは思えなかった。驚きも怒りも、不思議となかった。
それが「真実告知」だった。
生みの親とやりとりはあるのか。その後、何度か聞こうとしたが、そのたびに母が泣いてパニック状態になり、父にとがめられた。
養子という言葉はやがて、家庭内で禁句となった。
浮かび上がった別の名字
西日本の地方都市で育った…
- 【視点】
ご自分の体験をこうやってお話してくださっている男性に感謝したいと思います。どれだけ悩まれたかを考えると心が痛みます。特別養子縁組を進めようとしている社会の中で、こうした当事者の方々の体験、思いから、よりよい制度、傷つく子どもを減らすための
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