(千田先生のお城探訪)「トンネル作戦」 勝利の鍵

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千田嘉博・城郭考古学者
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城から見た家康(10)小牧山城

 1582(天正10)年6月に本能寺の変が起きて織田信長が自刃すると、誰が織田家を継ぐのかが大問題になった。柴田勝家や羽柴秀吉など織田家の重臣が愛知県の清須城に集まった清須会議の結果、信長の長男信忠の子で幼児だった三法師が織田家の後継者に決まった。ところが10月になると、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興(つねおき)などが清須会議の決定をくつがえし、信長の次男・織田信雄を織田家の家督として擁立した。

 しかし信雄が本当の天下人と…

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