25年前の「ギロチン」は家族も分断した 漁師たちの無念

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寺島笑花 伊藤隆太郎
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 長崎県の諫早湾で国が進めてきた干拓事業のため、湾が排水門で閉め切られて14日で25年になる。一度は「開門」の判決が確定しながら、今年3月の福岡高裁判決でその効力が否定された。「ギロチン」と呼ばれる閉め切りは、漁業者の家族も分断した。

漁獲量は3分の1に

 1997年4月14日、午前11時半。たった45秒の間に、293枚の鋼板が次々と海に落とされた。

 長崎県島原市の中田博文さん(60)は漁で海に出ていて、その様子を見ていない。テレビで何度も映像が流れたが、詳しくは見なかった。「あの瞬間が問題じゃなくて、先にも続くこと」。次の日の朝も、いつものように漁へ出た。

 島原で3代続く漁師の家に四男として生まれた。兄弟4人のうち3人は漁師になった。干拓事業については、「魚が取れんようになる」と3人とも反対運動に参加した。

 なかでも次兄で11歳年上の猶喜(なおき)さんは積極的に運動に関わった。有明海の漁業者や市民でつくる、開門を求める活動団体「有明海漁民・市民ネットワーク」の副代表も務め、漁業者らの先頭に立った。2010年に確定した開門請求訴訟では、勝訴原告の一人となった。

 ただ、猶喜さんの強い言動は…

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この記事を書いた人
寺島笑花
ネットワーク報道本部
専門・関心分野
社会福祉、平和