96歳の超絶記憶力が紡ぐ 「今は見られない」上方文化の回想録

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向井大輔
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 御年(おんとし)96。大正時代に大阪・船場に生まれた元国立劇場理事で演出家の山田庄一さんが、自身が見聞きし、体験した上方(かみがた)(京都、大阪)の行事や風習を回想した『京なにわ 暮らし歳時記』(岩波書店)を著した。今は見られなくなった人々の営みの記録でもある。

 「電子辞書を時々引くぐらいで、多くは記憶を頼りに書いたから、間違いも多いと思いますよ」。山田さんはそう謙遜するが、この記憶力が侮れない。

 古典芸能担当の記者は事あるごとに、上方芸能の「生き字引」でもある山田さんに取材する。昔の歌舞伎人形浄瑠璃文楽のことを聞くためだ。アポなしの電話であれこれ尋ねるわけだが、毎回すらすらと当時の公演や配役について答えてくれる。念のためにこちらで調べてみてもほとんど間違いがない。「だいたいのことは、ちょっと考えると思い出す」のだそうだ。

 山田さんが生まれたのは、大阪の町人文化の中心地だった船場の旧家・水落(みずおち)家。江戸時代には呉服問屋などを営んでいたという。生まれた頃は「仕舞屋(しもたや)」(商売をやめた家)だったが、芝居好きの家系だった影響で、家には歌舞伎役者らが出入りしていた。

 当然、山田さんも物心つく前から、家族に連れられて道頓堀などの芝居小屋に通った。記憶に残る一番古いものは4歳の頃に見た新作歌舞伎「能祇(のうぎ)と泥棒」だったという。90年以上前の話だ。

 京都帝国大学の時に能(観世…

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