「来てくれてありがとう」
昨年12月23日、札幌高裁であった同性婚訴訟控訴審の第1回口頭弁論のあと。原告らの集会で、北海道帯広市の公立学校教諭、国見亮佑さん(40代、仮名)が立ち上がり、片手を上げて語りかけた。
視線の先には傍聴に初めて訪れた両親。隣にはパートナーのたかしさん(同)の母と姉、おいが座る。両家族は、国見さんとたかしさんに笑顔で拍手を送った。
「性的指向など人の意思によって選択・変更できないものに基づく区別は、真にやむを得ない区別であるかによって、その合理性を慎重に検討されなくてはならない」
昨年3月17日の一審・札幌地裁判決で武部知子裁判長(当時)は、同性どうしの法律婚を認めない民法などの規定が「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反すると認定した理由について、そう述べた。原告らはこの言葉に強く勇気づけられた。国会と政府に対して、よりインパクトがある上級審の判断を仰ぐため、闘いを続けている。
異性カップルと同性カップルとの間には、「結婚の壁」という「境界」が存在し続けている。
同性愛者は人生の中で差別や偏見にさらされてきた。家族にも打ち明けられずに苦しんでいる人が少なくない。国見さんとたかしさんの家族のようなケースはまれだ。
国見さんの70代の母は「あの子は会うたびに丸くなって。たかしがおいしいご飯つくってくれるから」。国見さんからカミングアウトされたのは22年前。「人間はそれぞれ違うもの」と考えてきたので、驚きはしなかった。ただ、「私が知らないところでたくさん悩んでいたんじゃないか。何もしてあげられなかった」と思うと涙が出た。「20年も経っているのに、まだ泣いちゃうわ」
たかしさんの姉も、おとなしく控えめだった弟にわかりあえる相手ができたと知ったときはほっとした。教師の国見さんにはよく子育てを相談した。たかしさんのおいは「母ちゃんは亮佑さんと浮気してるんだと思ってた」。
おいは発達障害があり、現在、大学で福祉などを学ぶ。同級生には自らをLGBTだとオープンにする人もいる。障害者と健常者との間にも、性的少数者と性的多数者との間にも、共通する「境界」があるように感じる。「『バリアフリー』とか、『共生社会』とか、境界の向こう側の人たちは言葉だけをつくって逃げる。『当たり前の優しさ』さえあれば、みんな幸せになれるはず」
原告の札幌市の30代女性にとっては、家族との間に「隔たり」が厳然としてあった。
高校生のとき、今のパートナ…