第4回羽生結弦が望んだカナダ行き 語り合った食事会、トロントでの成長
羽生結弦が、さらに飛躍する大きなきっかけとなったのがブライアン・オーサーコーチとの出会いだ。
2012年にオーサー氏のいるカナダ・トロントのクリケットクラブに拠点を移した。そして、14年ソチ、18年平昌と五輪を連覇した。
2人の橋渡し役を担ったのが、日本人として初めてクリケットクラブの会員となったフィギュアスケートコーチの樋口豊さん(72)だ。
樋口さんが最初に羽生を見たのは中学生のころだった。
「全日本ジュニアだったと思います。ジャンプ力、回転軸の出し方がとても上手だった。身体能力にも優れ、フィギュアスケートに向いている選手だなという感じでした」
羽生がオーサー氏からの指導を受けることを望んでいると聞いたのは11年。日本スケート連盟の元フィギュア強化部長、城田憲子さんから「オーサーコーチを紹介してくれないか」と頼まれた。
樋口さんはオーサー氏が現役時代、ジュニアの大会に出ていた時から知っていた。コーチになってからも親交があった。
「技術的にしっかりしていて、冷静で、あとはすごく優しい。コーチになってからも、あまり怒らない先生です」
10年のバンクーバー五輪では女子の金姸児を金メダルに導いた。オーサー氏の手腕を樋口さんは高く評価していた。
クリケットクラブについても熟知していた。樋口さんは現役時代、1968年グルノーブル五輪に出場後、クリケットにスケート留学した。
その環境も羽生には合うと確信した。
「クリケットはフィギュアスケート専門のリンクで、有名な選手が集まってくる場所。彼にはふさわしい場所だと思いました」
「リンクにはフェンスがなく、周りが鏡になっていて、自分の滑りをチェックできる利点もあった。氷もよく滑る。上級のスケーターは、いい氷で練習するということが、技術を高めていく要因の一つとなります」
2011~12年シーズンが佳境を迎えるころ、東京都内で羽生とオーサー氏ら関係者数人で食事をともにする機会を用意した。
羽生結弦の強さの秘密を、6人の指導者や仲間が語る連載の4回目。樋口さんがトロントで見た羽生の成長は後半で。記事の最後には6人の証言をまとめた本編動画は記事の末尾に。
2人の様子を樋口さんはこう振り返る。
「ブライアンも彼を教えるこ…