熊本県内の記者が一年を振り返りつづった「記者メール」

伊藤秀樹 近藤康太郎 奥正光 長妻昭明
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 国の行方を決める選挙があり、地域の明日に関わる動きがありました。半世紀以上続く課題も。熊本県内の記者が一年を振り返りつづった「記者メール」です。

流水型ダムの説明責任

 2020年7月の豪雨災害を受け、蒲島郁夫知事が国に求めた「新たな流水型のダム」をめぐる議論が本格化し、取材する機会が多かった。会議ばかり取材していると、現場が恋しくなる。

 年の瀬の12月21日、熊本県球磨村を訪ねた。多くの家屋が被災した茶屋地区では家の解体が進み、更地が一面に広がっていた。発災後、取材を続けてきた小集落「淋(そそぎ)」でも数軒の家屋が消えていた。この家の元住民たちは高齢だったり亡くなったりしていて戻って来ることはないという。

 案内してくれた中園充郎さん(69)は、災害で2階建ての自宅が2階まで浸水。当時は平屋の棟から高齢の母を抱え、腰まで水につかりながら別棟の2階に逃れた。大量の土砂に埋まった自宅は、リフォームが終わっていた。ただ電気工事が残っており、まだ戻れない。新年は手狭な仮設住宅を出て、自宅に戻りたいという。 

 かさ上げはなされておらず、20年7月並みの豪雨が起きれば、再び浸水するリスクがある。それでも中園さんは「またつかってもいいからここに住みたい」と言う。流水型ダムについて中園さんに考えを聞こうと思っていたが、取って付けたような感じがして質問できなかった。

 蒲島知事は20年11月に流水型ダムを国に求めると表明した際、ダムの効果やリスクについて説明責任を果たすと述べた。しかし最近は国への配慮なのか、発言が慎重だ。知事は国まかせにせず、自身の言葉で語ってほしい。

けもの肉とマシンガン

 冬場は猟師のかき入れ時、山奥を走り回っている。基本はひとけのない場所で仕事をするのだが、たまに「ポツンと一軒家」がある。

 法律上は撃ってよくても、住民への声かけは必須だ。東京で買って手元に備えてある菓子折り、印刷した自己紹介文、難物そうなら著作を添えるときもある。「音が響きますが、撃たせてもらっていいですかねぇ」と頼み込む。

 まずは、いい顔をしない。それはそうだ。家の前で殺生をされて、気分がいいわけない。「気持ちはわかります」と受けるが、けものの料理の話に流れたら、がぜん、話に興味を持ってくれる。野生の、生命力にあふれたけものたちの肉が、市販の水っぽい、薄味な、工場加工品のような肉といかに違うか。20~30分はしゃべり続けることができる。ほんとうのことだからだ。リアルに感じているからだ。命を捧げてくれたけものたちの、名誉に関わることだからだ。

 生まれ故郷の東京では、フレンチレストランに鴨(かも)肉を卸し始めた。2021年から肉をとってくれるようになったレストランでも、知り合った最初にこれをやらかしたらしい。客として食事をしていたのに、スイッチが入ると立ち上がり、身ぶり手ぶりまじえての機関銃トーク。わたしがいないとき、連れに「あの人の武器は、散弾銃なんですか? マシンガンなんですか?」とシェフは聞いたそうだ。

 たぶん、両方。

水俣 野辺の墓に誓う

 師走の水俣の夜明けは大気が澄み切っている。不知火海へ向かって歩くと野辺にはもう、菜の花やスイセンが咲いていた。その近くにある墓の墓誌に「(昭和)三十六年三月……三才」と刻まれている。

 年齢の上には、水俣病を背負い、2歳半で亡くなった女の子の名がある。母親がこの子を出産したのは、当時「奇病」と言われた病で苦しんだ夫を亡くした直後だった。夫を奪われた母子の暮らしは困窮を極め、身を寄せた実家の母屋に入れてもらえず、穴だらけの小屋で風雨をしのいだ。

 60年前の3月、夜中に激しいけいれんを起こした子は翌朝、逝った。悩んだ末に解剖に応じ、軽くなったわが子をおんぶして帰った日の悲嘆は、誰にわかるだろうか。それでも母は、自らの半生と公害の現実を伝え続けてきた。だがそれもコロナ禍で近年は断たれたままだ。

 コロナ禍によって水俣病資料館の語り部たちが体験を直接伝える機会は急減し、2021年度はオンラインになった。コロナ後は次世代に伝える「線」を細らせず、対面にオンラインを加えた「束」として太くなるのか、見届けなくてはならない。

 不知火海の水銀汚染が深刻だった時代に生まれていなかった世代(自分も含め)に、過去の公害に対する責任はないとしても、その意味を未来に生かす責任はあるはずだ。「環境都市」の原点が形骸化すれば二度と、あの墓に顔向けできない。

選挙報道 引いた視点で

 「これが選挙ですよ」。自民党前職の野田毅氏と無所属新顔の西野太亮氏が争った衆院選熊本2区を取材していて、何度か県議会議員らに言われた。取材するにつれてこういうものかと理解できたこともあったが、最後まで納得できないこともあった。

 公示日直前の10月15日、熊本市で自民党熊本県連の選挙対策会議が開かれた。公認候補や県議、推薦団体が集まる中、前川收会長は西野氏について「将来は自民党だと言っている。選挙に有利になりたいがために、県連を頭越しに言う人を認めません。あの人が言っていることは現時点でも将来においてもうそだ」と語気を強めて批判した。

 その場にいた私はその言葉を素直に受け取ってしまった。だが複数の自民関係者によると、県連幹部はこのころから、水面下で西野氏の入党について党本部の責任者と協議していた。西野氏が野田氏に勝利すると、投開票の翌日には前川会長が党本部に行き、入党時期の調整に入った。それから約1カ月後、西野氏の入党が決まった。会見で前川会長は「これまでのことはこれまでとして、西野氏を支える」と語った。

 政治家からすれば、これが選挙なのかもしれない。ただ、西野氏の支持者の中には県連の言葉を信じ、無所属だからと応援した人がいた。有権者が惑わされないためにも、こういうものだと納得せず、常に一歩引いた視点で正確な情報を報じていきたい。

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この記事を書いた人
伊藤秀樹
スポーツ部|相撲、体操、ボクシング担当
専門・関心分野
スポーツ、災害、歴史、行政