第3回中村哲さんに近づく危険、警察は深刻に捉えなかった 元高官が告白
中村哲さんが殺害された事件では、アフガニスタン当局は一度も会見を開かず、情報を伏せてきた。
今年8月にはイスラム主義勢力タリバンによる政権崩壊が起き、捜査に関わった当局者の多くが国外に脱出。真相の解明はいっそう難しくなった。
せめて捜査で分かったことだけでも記録に残したいと思った私は、助手とともに当局者の行き先を調べた。安全な第三国に身を移した後なら実名で取材に応じてくれるかもしれないと考えた。まず当局者の知人を捜し、その知人伝いに連絡先を調べていった。
事件の風化を放置せず、見聞きしたことを証言してほしい。そんな私たちの呼びかけに返事をくれた人がいた。
〈中村哲さん殺害事件〉アフガニスタン東部で2019年12月4日、人道支援NGO「ペシャワール会」現地代表で、医師の中村哲さん(当時73)らが乗った車が灌漑(かんがい)の事業地に移動する途中で犯行グループに銃撃され、中村さん、アフガニスタン人運転手1人、同警察官4人の計6人が死亡した。大統領が監督する最重要事件に指定されたが捜査は難航した。
州知事として事件の対応にあたったシャーマフムード・ミヤヒル氏(63)。事件前から中村さんと付き合いがあり、事件後は合同捜査チームの人選に関わった人物だ。ガニ大統領の信任が厚く、後に国防副大臣も務めた。
SNSのメッセージで、ミヤヒル氏は「手元の文書を見返しておくよ」と約束してくれた。手元に何らかの文書があり、取材に向けて記憶を喚起しておくという前向きなメッセージだった。
ミヤヒル氏は30代のころ、米メディアの現地記者として働いていたといい、英語が堪能だった。私が新聞社の名刺を接写して送ると、ミヤヒル氏は「アフガニスタンで32年前、アサヒシンブンの記者と知り合い、一緒に山奥で取材したことがあった」と懐かしがった。
やりとりを続けるなかで、ミヤヒル氏からはこんな提案も寄せられた。「君に文書を送るから、読んでおくといい。事件のことがよく分かるはずだ。頭を整理したうえで話をしよう」
私は送られてきた文書を読み込んだ。ミヤヒル氏が事件直後にしたためた大統領側近あての報告や捜査関連の文書、業務日誌など計19枚。英語のものもあったが、ほとんどは現地のパシュトゥー語かダリ語で書かれていた。翻訳は助手に頼んだ。
大統領側近あての報告には、ミヤヒル氏が州知事として職務上知り得た情報がまとめられていた。内容は次のようなものだった。
▼アフガニスタン情報機関「国家保安局」は、中村さんを狙った殺害計画があることをつかんでいた。
▼アフガニスタン情報機関は、殺害計画の存在を中村さん側に知らせた。
▼アフガニスタン情報機関は、事件の2日前に中村さんのもとを訪ね、「脅威は消えていない」と伝えたが、事件は防げなかった。
これらの情報は、遺族らの証言と矛盾しない内容だった。
文書からは、中村さんを守る警備態勢に不備があった可能性も読み取れた。情報機関や警察、軍、州政府の合同捜査チームが事件後にまとめた6枚つづりの内部報告の文書は、次のように指摘していた。
次々と明らかになる事件の詳細。ミヤヒル氏と接触した記者は事件前後の様々な動きを知ることになります。
▼情報機関がつかんだ脅威情…
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