日本海そばの「母」の墓、あの歌手は手を合わせた 名曲「岸壁の母」

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小島弘之

 戦争で消息を絶った息子への母の思いを歌った名曲「岸壁の母」で、そのモデルとなった女性は、能登半島の日本海のそばにある墓地に眠っている。曲を歌い継ぐことになった歌手は10年ほど前、歌をヒットさせた師と共に、ひそかに墓を訪れ、手を合わせていた。

 モデルとなったのは端野(はしの)いせ(1899~1981)。太平洋戦争で消息を絶った息子の帰りを戦後、引き揚げ船が到着する港の一つ、舞鶴港(京都府舞鶴市)で待ち続けた。没後40年を迎えた今年、記者はゆかりの人や土地を訪ねた。

 ♪母は来ました/今日も来た/この岸壁に/今日も来た/とどかぬ願いと知りながら……

 「岸壁の母」(作詞・藤田まさと/作曲・平川浪竜)は、戦争に翻弄(ほんろう)される女性の心情を切々と歌い上げた情念の曲だ。1954年に最初に発表され、72年に二葉百合子(90)が浪曲調で歌って大ヒットした。

 石川県志賀町の海沿いの静かな集落にある浄土真宗・万福寺。9月に訪ねると、端野家の墓は墓地の一角でひっそりたたずんでいた。最近、誰か来たのか、花が供えられていた。寺の住職によると、今でもこの曲を知る人が訪れるそうだ。

 名曲ゆかりの地。10年ほど前の初夏に、二葉はここに、ある一人の弟子を連れてきた。

 歌手、坂本冬美(54)だった。

名曲「岸壁の母」を歌い継いだ坂本冬美は、モデルとなった女性の墓前で、ある誓いを立てていました。傍らには師がいました。歌い継ぐことを悩んだ時期もあった坂本の背中を押す出来事も、その後起こりました。

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