習氏は毛沢東になるのか 在米の中国人歴史学者が解説

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聞き手=論説委員・古谷浩一
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 習近平(シーチンピン)国家主席毛沢東になろうとしているのか――。中国共産党が40年ぶりとなる「歴史決議」を採択しました。中国出身で1994年に渡米し、共産党体制にも厳しい立場から中国近現代史を調べてきた米デラウェア州立大学歴史学科の程映虹教授に、毛沢東時代と現在の習近平体制との比較について尋ねてみました。

 ――後に個人崇拝とも批判された毛沢東の考え方や手法は習近平体制にどんな影響を与えていますか。

 習氏は毛沢東の多くのやり方を復活させようとしている。理由は主に二つ考えられるだろう。

 一つは彼自身の考え方がそもそも濃厚な毛沢東主義(毛沢東の思想や手法に賛同を示す考え)であること。そして、もう一つは中国共産党が現在直面する統治の危機は毛沢東のやり方でしか対応できないと判断しているからだ。

 影響は多方面にわたる。毛沢東の時代の後、中国共産党が確立した集団指導体制の慣例はないがしろにされ、独尊的に一人のリーダーがすべてを決めるような仕組みが打ち立てられようとしている。

 改革開放以降の中国社会が得た一定の自由は制限され、党の力と言葉が社会や家庭のなかに浸透させられつつある。経済でも、党の役割が強化され、民間企業の地位が厳しく制限されようとしている。

 毛時代の意識形態や政治的なコントロールが復活し、文化や教育は人々を体制に従順にさせるための道具にされようとしているのだ。

 ――毛沢東時代との違いはなんでしょうか。

 毛沢東は絶え間なく政治運動を発動することによって自らの地位を堅固なものにしようとした。そのことによって、自らの政策を推進した。

 習氏も反腐敗運動や政治教育の強化など同じようなことをしたいのだろうが、実際にはなかなか難しいだろう。

 ――どうしてですか。

 中国社会は毛沢東時代と違ってすでに対外開放され、人々は現代的な生活を送っている。毛沢東は権力を握って独断専行、やりたいことは何でもやろうとした。

 ただ、それでも彼は自分が「不自由」だと感じていた。習氏はそれをもっとより強く感じているに違いない。

 ――毛沢東が訴えた共産主義革命の考え方は中国だけでなく、世界に影響を与えました。

 毛沢東がやろうとしたのは世界革命の発動だ。あわよくばソ連に代わって共産主義運動のリーダーになろうとした。しかし、とてもではないが中国の力が足りず、それは無理だった。米国とともにソ連に対抗するという政策目標の調整が行われた。

 これに対し、習氏は他国の政権転覆を狙ったり、世界革命をしようとしたりしているわけではない。「中国モデル」を通じ、自由と民主憲政の社会を動揺させ、国家制度に問題をかかえる国々に中国式の専制政治を広めようとしているだけだ。

 ――目的は何ですか。

 中国の国家制度が有効で合理的であることを国際社会に認めさせ、正常な国家であるとみなされること。中国共産党が国際社会から問われ続けている、政治的な合法性を認めさせようとしているのだ。

 このことは国内の統治上にも大きな意味がある。中国共産党は数十年にわたって中国の「国際イメージ」を歪曲(わいきょく)して(すばらしいものであるとして)国内で宣伝してきた。

 なぜ中国はゼロ・コロナ政策をとっているのか。大きな一つの理由は「中国モデル」が有効かつ優越性を持っていなければならないからだ。

 習氏にとって「中国モデル」の宣伝は、いわば攻撃は最大の防御といったものなのだろう。

 ――6中全会での「歴史決議」をどう見ますか。

 大まかに言って、共産党国家体制の合法性はその歴史の継続性に依拠する。これは現代国家が政府に求める法治や制度維持の考え方とは大きく異なるものだ。

 党史の記述を新たなものにすることで、毛沢東を祖先と奉じ、「赤い王朝」の血統の地位の純正さを強調しようとする。それを歴史決議という方法で習氏はやろうとしているのだ。

 ――どういう意味があるのですか。

 一つは習氏の路線に合わせて…

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