京阪80形、保存プロジェクトが始動
大津市と京都市を結ぶ京阪電気鉄道京津(けいしん)線で活躍した名車「80形」。滋賀県高島市で保存されている82号は塗装の一部がはげ落ち、周囲は雑草が生い茂っていることを朝日新聞が報じたところ、保存へ向けたプロジェクト「82チャンネル」が再始動した。記事を読み、「ぜひお手伝いしたい」という人らが結集。草刈りは完了し、再塗装などの補修計画を練っている。
80形は1997年に引退したが、「名車を消滅させるのは悔いが残る」と、有志が2003年6月にNPO法人「京津文化フォーラム82」を設立した。
最初に製造された81、82号は解体を免れ、82号は当初、石山坂本線近江神宮駅の錦織(にしごおり)車庫(大津市)でNPOが管理した。しかし、維持、管理が難しくなり、理事で電車好きの妹尾友希子さんが京阪から無償で譲り受けた。
妹尾さんは高島市に取得した土地に線路を敷き、15年11月に「引っ越し」。その翌年、妹尾さんは48歳で死去。NPOも17年6月に解散した。
朝日新聞の記事をきっかけに、NPOの理事長だった橋本光弘さん(48)がホームページ「82チャンネル 京阪80型82号保存プロジェクト最終章」を9月に開設。「82号は再び保存へのレールを走り始めます。永続的な保存を支えてくれる個人・法人を募集しています」と呼びかけたところ、十数人が申し出た。
「メンバーは全員フラットな立ち位置であり、オンライン上での議論・検討を踏まえたうえで企画・運営戦略が決定される」との運営方針を決め、9月25日に橋本さんら数人が現地でキックオフイベントを開催。車体の状態を確認し、雑草を取り除いた。
おおむね月1回、現地に集まることになり、10月17日に2回目の草刈りをした。
参加した西小路(にしこうじ)良さん(30)=兵庫県尼崎市=は以前、仕事で電車の点検に携わっていた。「技術を持っているので経験を生かしたい」。山本明弘さん(55)=京都市=は京都市電の保存にも取り組み、「電車の再塗装の道具やノウハウもある。仲間内と楽しみながらお手伝いしたい」と話した。
武田信一さん(48)は横浜市から駆けつけた。電車の天井などの内装部品を取り付ける会社に勤務している。武田さんは「NPO時代から80形にかかわってきた。劣化を防ぐため、生前に妹尾さんが言っていた屋根をつくりたい」と意気込んでいる。
呼びかけ人の橋本さんは今後について、「色を塗り終わったら車内灯や前照灯、後尾灯を点灯できれば。屋根をかけ、人に見せられる状態にしたい」と説明する。小中高校生らとの連携など地元とのつながりも大切にしたいといい、「協力したいという人は大歓迎です」と話す。
ホームページのアドレスはhttps://82ch.net/。
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〈80形〉 京阪電気鉄道などによると、1961年から70年までに16両が製造された。京津線は一部の区間が道路を走行する併用軌道で、急勾配と急カーブもある厳しい路線。これらの条件をクリアするため、長さ15メートルと小型の車体は、当時としては最先端の技術を集めた画期的な設計だった。