第5回レイプ被害、耳から離れない叫び声… 救いのない拘束施設で何が?
シリア内戦でアサド政権の治安機関に拘束されたという体験を朝日新聞に語った24人の元収容者には、反体制派に身を投じた戦闘員や協力者もいれば、政治に無関心だった市民や少年たちもいる。アサド政権は拷問などの疑惑を一切否定しているが、元収容者らは国外に逃れた後も癒えない心の傷を抱え、陰惨な記憶をたどるように語った。連載最終回は、全く異なる背景で生活していた3人の証言を紹介する。
「お前は美しいテロリストだ」
アサド政権軍の軍人一家に育ったアイダ・ユスフ(38)は、考えの違いから親族を離れた。その先に待っていた運命は過酷なものだった。
――内戦中に親族と仲たがいしたそうですね。
父と6人のおじはみな政権軍の将校です。夫は内戦中に親政権の民兵組織に加わりました。政権支持者だった私が疑問を感じたのは、政権軍が包囲した地域を激しく攻撃するのを目撃してからです。反政権デモに加わるようになりました。
父からは「お前が政権に捕まっても助けない」と言われ、私も言い返しました。「お父さんが反体制派に殺されそうになっても助けない」と。父はその後、実際に反体制派に殺されました。
――親族と離れた後はどうしたのですか。
親族と暮らしていた(シリア中部の)ホムスを去ったのが2013年初めです。3人の子どもを連れて、反体制派が支配するダマスカス近郊の東グータ地区に移りました。看護師として3年間働きました。
ところが、地区は政権軍に包囲され、暮らすのが難しくなったのです。やむを得ず、政権軍側との「和解」に応じたふりをして、親族のもとに戻りました。そこでは、政権軍の包囲下にある別の反体制派地域に医薬品などを横流しして支援しました。それに気づいた義弟が治安機関に密告したので、逮捕されました。
「赤ん坊でも我々にとってはテロリスト」
――治安機関での尋問はどのようなものでしたか。
尋問官の男は、反政権デモの映像を流し、抗議している私の顔をズームアップしました。東グータ地区での生活を聞かれ、私は「戦闘員の治療はしていない」と言い張りました。彼は「お前が治療したのが赤ん坊でも、我々にとってはテロリストだ」と言っていました。
取り調べの当初、私は「反体制派に物資の横流しはしていない」としらを切ったんです。すると彼は、反体制派と物資搬入の調整をしている私の声を盗聴した音声を流しました。その時初めて、恐怖を感じ、全身から血が引いていくのを感じたんです。病院で入院した後、テロ法廷で有罪判決を受けたのが16年2月でした。
――その後はどうなったのですか。
(ダマスカス近郊の)アドラ刑務所での服役が7カ月目になったころ、別の拘束施設に移送されました。ほかの収容者たちは、「パレスチナ支部」(軍事情報部235支部の通称)だと言っていました。ここで拷問を受けました。
――どんな拷問だったのですか。
この施設で拘束されたのは18日間です。うち8日間は全裸で手を縛られ、天井からつるされました。足が床につくかどうかという状態です。逆さづりにもされました。冷水や熱湯をかけられたり、溶かしたプラスチックやたばこを体に押しつけられたりもしました。「アブアリ」と呼ばれていた尋問官は、「なぜお前はほかのやつのように泣き叫ばないんだ。俺を呪ってみろ」とけしかけました。
「肉体はここにあっても、魂はここにはない」。そう信じて耐えました。尋問でたいした質問はありませんでした。なぜ拷問にかけられたのかわかりません。屈辱を与えることが目的だったのではないでしょうか。
「今世紀最悪の人道危機」とも呼ばれるシリア内戦。アサド政権下で数万人規模の市民が姿を消し、秘密施設での拷問によって多数の死者が出ていたという報告があります。この疑惑をアサド政権は完全否定しています。24人の元収容者がシリア国外で語った証言から実態に迫りました。記事後半では、アイダのほかにも突然連行されて拘束施設で激しい拷問を受けた市民の口から、当時の悲劇的な状況と今もトラウマを抱えている様子が語られます。
――国連の調査委員会の報告書は、政権の収容施設で性暴力が横行していると告発しています。
アブアリは私を拷問した後に…
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