松山の「坊っちゃん列車」、なぜ愛されるのか 復活20年でイベント
伊予鉄道の松山市内線を走る観光列車「坊っちゃん列車」が12日、運行開始から20周年を迎えた。古町駅北側の古町車両工場(松山市平和通6丁目)で記念イベントが開かれ、愛媛県内外の鉄道ファンや地元住民ら10人が、運転台を見学したり記念撮影をしたりして楽しんだ。
坊っちゃん列車は、伊予鉄道で1888年~1954年に走っていたSLをモチーフに、半世紀ぶりに復活させたディーゼル機関車。2001年10月12日に運行を始めた。現在は「1号機関車」と「14号機関車」の2編成が走る。主に繁忙期の土日祝日に道後温泉駅と松山市駅、古町駅を結んで1日4往復する。
イベントでは、運転士らが機関車と客車の連結・切り離し、手押しでの方向転換作業を実演し、参加者らが熱心に動画や写真を撮影した。また、制服を着て運転台に上がり、運転士から機器類の説明を受けた。
参加した松山市中央1丁目、矢野健生(たてお)さん(75)は小学生の頃、椿神社へ行く時に、当時の森松線でSLの坊っちゃん列車に数回乗ったことがある。「復活した列車には乗ったことがなかったので参加した。まさか運転台に上がれるとは」と感激した様子だった。
イベントの司会を務めた伊予鉄道鉄道課の池田幸平課長は、20年前の復活時、坊っちゃん列車の運転士だった。「20年来乗りに来てくださる方もいて、列車が愛されていることをひしひしと感じています」
20年前は夜中に郡中線を閉鎖して運転の練習をするなど、手探りでのスタートだった。それでも、「お客さんとマンツーマンでお話ができるのが、坊っちゃん列車の魅力」と話す。
坊っちゃん列車の乗務が4年目になる出来功太郎運転士は、「車掌の観光案内に合わせた運転を心がけている」という。松山城が見えるポイントや愛媛県庁本館前で停止したり、非冷房の客車が夏に暑くならないように日陰で止まるようにしたり。「列車旅行を楽しんでもらいたい」と工夫を重ねる。
毛利圭蔵鉄道部長は「20年たつが車両は問題なく走っている。点検とコロナ対策をしっかり行い、運行を続けていきたい。これからもご愛顧をお願いします」と話した。
伊予鉄道は、民間の鉄道としては南海電鉄(大阪市)に次いで日本で2番目に古く、1888(明治21)年に松山―三津で開業した。
「伊予鉄道百年史」などによると、蒸気機関車の1号機は開業時にドイツから輸入したもので、以後、計18両が在籍。夏目漱石の小説「坊っちゃん」の中で、「マッチ箱のような汽車」と書かれたことから、「坊っちゃん列車」の愛称で親しまれた。電化やディーゼル機関車の導入によって、1954年に引退した。
復活を望む市民の声を受けて復元されたのが、現在の2編成の「坊っちゃん列車」。機関車2両と客車3両がある。
外観や内装は蒸気機関車を忠実に再現したが、動力は石炭を使う蒸気ではなくディーゼル。電気だとパンタグラフがあるために外観を損ない、蒸気機関は煙などの環境面で難しかった。一方、煙突からの煙をスモークで演出したり、汽笛の音を社員OBに聞いてもらって再現度を高めたりと、出来うる限り本物に近づけたという。
発着駅となる道後温泉駅や古町駅、松山市駅には転車台がない。そのため、坊っちゃん列車は方向転換をする際には、床下にある油圧式シリンダーを伸ばして車体を持ち上げ、運転士らが押して回転させている。
坊っちゃん列車は、市内電車(路面電車)のダイヤの合間に運行する。そのため、終点で客車を切り離し、機関車を方向転換して再び客車を連結するのに与えられた時間は数分しかない。20周年イベントで運転士ら2人が披露した切り離し作業と連結作業は、それぞれ20秒ほどの早業だった。
数々の工夫と乗務員の技に支えられ、坊っちゃん列車は汽笛を高らかに響かせながら走っている。