歴史見つめた「敵国」の星条旗 じいちゃんが残した理由

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横山輝

 晩秋の日を浴び、ゆっくりと降ろされていく星条旗を彼は見ていた。

 1977年11月30日の午後。東京・米軍立川基地で、基地の返還式が行われていた。日米両国の国歌が斉唱され、それぞれの代表者が式辞を述べる。米軍関係者や自衛隊員らに交じって参加していた彼は、式典の合間に米軍の司令官に駆け寄った。

 「あの旗を、私にください」

 立川市で生花店を営む三田剛さん(45)は、祖父の鶴吉さんが基地の返還式後に譲り受けたという米国の星条旗を見せてくれた日のことを覚えている。本や資料が散らかった書斎の、三角形の木箱に入っていた。幼心に、貴重なのものだということは感じた。

 大人になって、不思議に思うようになった。

 戦争の時代を生きた祖父はなぜ、「敵国」の旗をほしがったんだろう。

 戦争の話をする時は、だいたい酒に酔っていた。戦闘機をつくる立川飛行機の見習工から、志願兵として陸軍へ。21歳の時に、中国で終戦を迎えた。最後は特攻隊要員だったという。

 多くを語らない祖父に、尋ねたことがあった。

 「特攻隊に行ったのはなんで?」

 死が前提の部隊だと知って…

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