太平洋戦争「捕虜1号」となった兄 口外禁じられた家族

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杉田基
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 太平洋戦争の発端となった80年前の日本軍による真珠湾攻撃。このとき、太平洋戦争での最初の捕虜となったのが、徳島県阿波市出身の故・酒巻和男さんだった。戦死した兵士が「軍神」とたたえられる一方で、当時、家族は酒巻さんについて口外を禁じられた。弟の松原伸夫さん(88)=徳島市=は「戦争反対と言うだけではなく、懸命に生きた当時の軍人の歩みも知って欲しい。そのうえで平和の尊さを知って欲しい」と願う。

〈酒巻和男氏〉1918~99年。海軍兵学校を経て、41年に特殊潜航艇でハワイ沖に出撃。太平洋戦争で初の捕虜となり、米国各地の収容所で過ごす。戦後の46年に帰国。作家山崎豊子氏の遺作「約束の海」のモデルにもなった。

 兄の酒巻さんは1941年12月、ハワイ沖の潜水艦から特殊潜航艇で出撃したが、計器の故障や米軍の攻撃で潜航艇が座礁し捕虜となった。

 松原さんは11人きょうだいの九男で、酒巻さんは次男。2人の年齢は14歳離れていた。戦前、兄が海軍兵学校から帰省した際には、兄の短剣を腰に差して一緒にあいさつ回りした。そんなときもほほえんで見ているような優しい兄だった。

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 真珠湾攻撃はラジオ放送で知ったが、兄が参加しているとは知らなかった。42年1月、海軍将校が訪ねてきて戦死を伝えた。

 しかしその後、別の将校がや…

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この記事を書いた人
杉田基
ネットワーク報道本部|地方取材支援担当
専門・関心分野
反核平和、人権、安全保障、選挙