男性の育休と生産性、人材争奪時代の「ゲームチェンジ」

聞き手=デジタル機動報道部・山下剛
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 6月に成立した育児・介護休業法の改正によって、2022年から男性の育児休業の取得促進が企業に義務づけられます。朝日新聞デジタルの新機能「コメントプラス」のコメンテーターで、働き方改革の専門家である小室淑恵さんに、パパになる前は残業も当たり前の政治部記者だった山下剛記者が聞きました。世の男性たちは、この制度を上手に生かせるでしょうか?

こむろ・よしえ

残業を減らし業績を上げる「働き方改革コンサルティング」で1千社以上への実績がある。産業競争力会議民間議員、経産省産業構造審議会、文科省中央教育審議会などの委員を歴任。著書に『プレイングマネジャー「残業ゼロ」の仕事術』(ダイヤモンド社)など。2児の母。コメントプラス・コメンテーター。

 ――今回の育児・介護休業法の改正は、長年働き方改革に携わり、政府に対してもさまざまな提言をしてきた小室さんとしては「ようやく」という感慨も深いのではないかと思います。これまでの日本で男性の育休取得がなかなか進まなかった理由を、どのように分析されていますか?

 従来の日本の企業では労働力の中心は男性という前提があり、業務の質×量がどれだけ多いかということばかりで評価が決まりました。この競争では、当たり前ですけれど、投入した時間が多い人が勝つわけです。最後は能力じゃなくて体力勝負。あとはいかにパートナーに家事育児を押し付けられるかということ。こういう社会では、育休を取る男性なんてただの「困った人」扱いでした。

 でも19年の労働基準法の改正で、非常に高い天井ではあるものの、残業について月間100時間未満、6カ月平均で80時間未満という上限が入った。これにより、出した成果をかけた時間で割るという「時間あたり生産性」が高いほうが評価されるというゲームチェンジが起きたのです。

 時間あたり生産性の勝負になると、これまで時間の概念なく働いてきた大半の男性たちの方が、会社にとって「困った人」になります。家事も育児も妻に押しつけてきた人たちは、ちゃんと帰ったところで家での居心地が良くなく、早く帰るために生産性を上げようというモチベーションもないですから。

 でも男性たちが自らそうなったのではありません。こういう人たちをつくってしまったのは、残業や単身赴任で家族との縁を断ち切って、子育てを妻に任せきりにし、夫の時間は24時間全部会社に差し出せと強いてきた会社なんです。19年の労基法や今回の育休法の改正で、少なくともこの先の世代は子どもが生まれた時からしっかり家族にコミットし、会社ではなく家族の一員としての意識を持つようになる。家族の一員だからこそ早く帰りたい、だから生産性を上げようという好循環で働けるようになると思います。

 ――なるほど。正直に白状しますと、最初に小室さんたちが男性育休の義務化を打ち出した時、いくらなんでもこの日本社会にそれはハードルが高すぎるんじゃないかと感じてしまった。メディアに所属する者自身が古い働き方にとらわれていて、新しい社会の動きについていけていなかったのです。

 男性育休の義務化が無理っていうのは、確かにメディアには相当多い見方だったと思います。本当は、ワンオペ育児中の女性たちと同じように夫や会社に対して毎日腹を立てている人が記者仲間や会社の役員にもいたら、当たり前のように「男性育休なんてもうメジャーだよね」という感覚になると思うんです。でも、そういう人はたまにしかいない。女性が役員になるには「私の育児は24時間母にアウトソーシングしました」というくらいでないと認められなかった。肝心な意思決定のところに多様な価値観を持つ人がいないから、物の見方が一方向からだけになっていると思います。

 ――確かに。でも大手のメディアや企業のトップ、政治家や役所の人の考えだけで物事が決まる時代でもなくなっています。例えば以前話題になった「保育園落ちた日本死ね」のツイートのように、SNS発の言葉が子育て行政を前に進めたりする例もあった。小室さんご自身も、SNSなどを通じて霞が関の働き方改革を呼びかけました。

 昨年末、霞が関の深夜閉庁を求めるオンライン署名を行い、2万7千筆分の署名を河野太郎行政改革相に手渡しました。でもこれが話題になるまで、国会対応のための残業代に国会の会期中だけで102億円、タクシー代が22億円も使われているということを、ほとんどの国民が知りませんでした。特定の議員が深夜の23時とかに質問通告をしているからなのですが、調べていくと、そもそも審議の日程が与野党の駆け引きでギリギリまで決まらないことが最大の問題だった。こういう予見ができないということが一番負担やコストになります。

 こんなことで発生する残業代に102億円も使われているという構造がわかったら誰だって腹が立つんですけれど、その構造に一番詳しかったはずのメディアが、それをおかしいという感覚を失っていた。メディアが言わないから私たちがSNSを使って世論を喚起したのですが、そもそもそこについてメディアがもっとわかりやすく解説していたら、国民はもっと早く憤れたんです。先日、関連の記事があったので、コメントプラスでこのことを問題提起しました。

 ――これは耳の痛い話です。私も政治部にいた頃は深夜まで残業するのが当たり前で、こういうものだ、仕方ないんだと思っていたんです。いざ自分も子育てに関わることになって初めて、お母さん議員たちが「こんな働き方をこれから議員になりたい女性たちには勧められない」と言っていることに「確かにこれはおかしい」と同調できるようになった。でも現場の空気につかっているとおかしい状況の方を当たり前だと思ってしまう。

 育児・介護休業法の改正でも非常に不足している部分があります。男性育休の取得率に関して、22年から公表することが各企業に義務づけられるのですが、公表先のサイト(https://ryouritsu.mhlw.go.jp/別ウインドウで開きます)見たことありますか?

 ――いや、ないです。

 ないですよね。一般国民では知っている人の方が少ないサイトに公表されるんです。

 今後は働きやすい企業と働きにくい企業を徹底して見える化して、働きやすい方の企業にしか人が来ないという状態をつくらなければいけない。高度経済成長期は企業の数に比べて労働力の方が余っていて、どうやって働く人を振り落として24時間会社に捧げる人だけを残すかという考えだったのですが、今後は労働力の方が足りないですから。企業は人材奪い合いの時代です。

 コロナ禍で多くの非正規雇用の女性が解雇されてしまったのですが、非常事態に真っ先にそういうことをするような企業に、そもそも入らないようにしないといけない。もっと言うと、それは投資する株主に対しても見える化しないと、経営サイドは意識しない。なので、有価証券報告書に書くことを義務づけないといけないんです。

 ――我々も、実際の状況をどんどん報道していかなければいけない。単純にこういう法律ができましたよ、というだけではなくて、どのくらいやっているのか、一番がんばっているのはどこなのか、ダメなところはどこなのか。

 本当にそうです。中には育児休業取得率100%だけど平均日数を見たらたったの2日っていう企業もある。「とにかく一日二日休め」と言われて休んでいるだけで、率だけを上げればいいと思っている。そういう企業はむしろ、悪目立ちさせないと。

 男性育休の平均取得日数が、きちんと「本質的な育児参画」ができる日数になっている企業に共通しているのは、先に働き方改革を徹底しているんです。誰が休んでも回る職場を先につくっている。例えばある証券会社は、男性育休が100%とれていて、日数も多い。なぜそれができているかというと、もう15年くらい前から19時退社の励行を営業部から先にやっている。

 仕事の属人性を排除して、チームで成果を上げるように働き方を根本的に変えていったら、誰かが休んでもパスを美しく回していけるようになるんです。

 そういうことができていない企業で男性育休の取得推進をやると、結局「マミートラック」と同じ失敗を繰り返すことになります。育休を取った女性は「あなたが休んだせいで仕事に穴が開いて大変だった。みんなに大変な思いをさせたあなたは昇進なんかしなくていいよね」ということで、肩身の狭い存在になり、キャリアのコースが限定されてしまう。これがマミートラックです。

 育休の制度はあっても、制度を使った人は、キャリアにおいて特定のトラックしか走れなくなってしまう。働き方を変えないまま男性育休をどんどん進めていけば、育休を選択した男性にもそういうトラックを走れということになり、女性以上に苦しい思いをさせることになると思います。

 ――単純に男性に育休を取らせるだけではなく、そもそも働き方改革を成功させないとうまく回らなくなるということですね。

 日本の人口構造を分析すればするほど、キャリアを最後まで時間制約なく走りきる人の方が奇跡なんですよね。育児、介護、子どもの病気に自分の病気。ほぼすべての人がどこかで時間制約を持つことになる。なのに時間制約を持ったらキャリアは終わりというシステムだと、もう1億総モチベーションダウンですよ。「ほかの人はみんなやれているのに自分だけが特殊な事情で脱落した」と思わされてしまう。

 だけど実はみんな隠し合っているだけで、お互いみんな事情を持っている身なんです。一部の人しかついていけないシステムに、無理して乗ろうとしなくていいんです。

 事情に合わせて柔軟に休みが取れて、それでも回る職場をつくっていた企業は、コロナ禍においても業績が堅調でした。男性の育休をきっかけに今のスタンダードはこっちだと切り替わることができたら、女性のキャリアも救うことができるし、障害を持つ人も病気を抱える人も救うことができるようになります。男性の育休は、今後の日本社会のダイバーシティーの要なのだと思います。(聞き手=デジタル機動報道部・山下剛

     ◇

こむろ・よしえ

 残業を減らし業績を上げる「働き方改革コンサルティング」で1千社以上への実績がある。産業競争力会議民間議員、経産省産業構造審議会、文科省中央教育審議会などの委員を歴任。著書に『プレイングマネジャー「残業ゼロ」の仕事術』(ダイヤモンド社)など。2児の母。コメントプラス・コメンテーター。

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やました・ごう

 政治部や世論調査部を経て、現在はデジタル機動報道部に所属しつつ子育てにも奮闘中。長男は障害があり、医療的ケアを必要とする「医療的ケア児」。障害のある子ども、とりわけ医療的ケア児の子育てや教育などについても数多く発信。コメントプラス・コメンテーター。

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    田渕紫織
    (朝日新聞社会部記者=メディア、子ども)
    2021年8月5日12時53分 投稿
    【視点】

    同僚の男性記者の育休は、やっと普通のことになってきました。 が、男女ともに、その復職後が問題です。 リアルタイムに事実を追う記者職では難しい部分もありますが、それを言い訳にせず、小室さんと山下さんの真摯な提起を広めていきたいです。

    …続きを読む