五輪も感染対策も「空気」頼みの政治 左右されぬために

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片田貴也
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 新型コロナウイルスの感染拡大が収まらないなかで開幕した東京五輪。SNSでは、日本人選手の活躍や感染者数といったその時々の状況によって、五輪への受け止めも、日々、揺れ動きます。近現代史研究家の辻田真佐憲さんは、こうした「空気」を、政府が感染症対策や五輪開催にも利用してきたと指摘します。

開会式、利権構造が表出

 ――五輪の開会式をどう見ましたか

 五輪が利害関係の上に成り立っていることが、如実に表れているなと感じました。そもそも国際オリンピック委員会(IOC)が、米国のテレビの放映権料でまわっている。今回はそこに、日本国内のいろんな団体が便乗しているわけです。

 ドローンやゲーム音楽など、個々でみれば面白いものはありましたが、全体で見たときにどうしてもチグハグ感がぬぐえませんでした。それも、いろんな利害関係者に口出しされた結果だと考えれば納得できます。

辻田さんは1984年生まれ。政治と文化芸術の関係を研究し、最近は「空気」に左右される日本社会についての論考を発表しています。後半では、その「空気」を利用する政権への批判や、こうした同調圧力に抗うためにどうすればいいか、語ってくれます。

 ――辻田さんの近著「超空気支配社会」には、1964年の東京五輪に関する評論もあります。64年の大会は、「大成功」というイメージがありますが、実際はどうだったのでしょうか

 前回の東京五輪は国民から歓迎され、華々しく成功したというイメージがありますが、かならずしも事実ではありません。世論調査では直前まで不人気でしたし、組織委員会の無責任体質も批判の的でした。五輪に便乗した公共事業が乱発されているなどとの批判もあったのです。

 ――今回の大会ではなぜ、無責任体質などがより際だって見えるのでしょうか

 五輪の商業化は以前より指摘…

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