不登校はボイコット、昭和の発想じゃダメ 教育長の信念
学校内に教室とは異なる「学びの部屋」を作ろうと、広島県内の小中学校でSSR(スペシャルサポートルーム)の指定校を増やしてきた平川理恵・県教育長。ときに教員からの反発も受けながらも、教室が合わずに苦しむ子どもが楽しく学べるような居場所作りを進めている真意を聞きました。
平川理恵・広島県教育長の略歴
ひらかわ・りえ 1968年生まれ。リクルートに勤務後、留学支援のベンチャー企業を経営。横浜市の公募に応じ、2010年4月、41歳で市立中学校長の校長に。15年、別の市立中の校長に就任。中央教育審議委員も務める。18年4月から現職。
――「学校の中にフリースクールのような学べる部屋を」という発想はどこから出てきたのでしょうか。
ベンチャーでビジネスをしてきた立場から公募に手を上げ、2010年春に横浜市立中学の校長になったとき、そこには15~16人の不登校の子がいました。本当に学校に来たくないの、と聞いたら、「教室は苦手だけれど学校で勉強はしたい」と言う。保健室登校の子もいたけれど、保健室には別の役割があるし、養護教諭は勉強を教える人ではない。
それならと「特別支援教室」を作りました。名前は「学習ルーム」。何曜日に、何時から来るか、どんなことをしたいか。生徒一人ひとり聞いて決めてもらいました。
「サボリ部屋ですか?」との反発、でも不登校は…
不登校といってもいろんな子がいます。大人数や人の視線、大声が苦手とか、友だち関係がこじれたとか、ハブられたとか、パニックになりやすいとか。「私は起立性障害だから週3日、昼過ぎから来ます」なんて子もいましたが、自分で「こうする」と宣言したら守るんですね。学校にまったく来られない子は、ほとんどゼロになりました。
――横浜では校長として2校目の中学でも同様の取り組みをしましたね。
次の学校でも、校内に同じような部屋を作ろうと思っていましたが、移ってすぐの年度は準備期間でした。翌年度に担当してもらおうと目星をつけた先生に、前任校の学習ルームや、民間のフリースクールを見学してもらったら、「こういう部屋を作れば不登校の子も来ますね」と納得してくれました。
何しろ子どもたちが楽しそう…
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- 【視点】
きょう9月1日は、小学校6年生だった私が不登校を始めた日。中学校は1日も出席せず、登校拒否児(32年前はそう呼びました)の居場所とかフリースクールで育ちました。こういう記事は、子どもやその周囲にいる人に届いてほしいと願いながら読みます。
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