母国に挑んだバスケ女子日本代表監督 満員電車に揺られ日本で育った

バスケットボール

松本麻美
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 「僕は日本のバスケットボール界に育ててもらった。その恩返しがしたい」

 バスケットの本場アメリカ(米国)で育ったにもかかわらず、女子日本代表監督のトム・ホーバス(54)はよくこう語る。

 米国出身。5歳でバスケットを始め、当然のように米プロNBAに憧れた。

 だが、ペンシルベニア州立大卒後、プロを目指すものの、米国では芽が出ず、ポルトガルへ。文化の違いなどになじめず、苦しんでいたところ、1990年、日本リーグトヨタ自動車から声がかかった。

 当時の日本リーグはプロではなく、あくまで「実業団」。会社員として朝は満員電車に揺られながら出勤し、日中にはオフィスワークもこなした。

 それでも「忙しいのが性に合った」と笑う。来日1年目から4季連続で得点王を獲得。選手として大きく花開いた。

 日本リーグ屈指の外国人選手と評価され、日本での活躍があったからこそ、かなった夢がある。94年、NBAホークスとの契約を勝ち取った。2試合とはいえ、憧れていた舞台に立った。だからこそ言う。

 「日本行きを決めた時、誰も僕がカムバックしてNBA選手になれると思っていなかった。日本のバスケット界には感謝しかない」

 引退後、指導者を目指した。ただ満足できる誘いはなく、いったんは米国に戻って就職活動した。FBI(米連邦捜査局)に就職する可能性もあったが、携帯電話のアプリを作るIT関連会社に就職し、一時は副社長まで務めた。

 バスケットへの思いが断ちきれないでいたとき、また日本から誘いがあり、日本で指導者としての道を歩くことを決めた。

 そのとき、誓ったことがある。

 「多少の間違いがあっても自分の言葉で伝える方がインパクトがある」

 選手への指導や報道陣への受け答えも日本語で対応する。妻は日本人。学校などで学んだ経験はないが、自然と身についていた。それでも、ここまで日本語で対応する外国人指揮官は珍しい。

 ただ、繊細な表現は苦手で、どうしても直接的な言葉になりがちだ。

 「怖いイメージが先に来て、アドバイスが伝わらなくなったらダメ」

 代表監督に就任した17年以降、表現の幅を増やそうとスマートフォンに日本語学習アプリを入れ、自宅では教本を積んで勉強した。代表合宿中、練習後に選手と1対1で話す時間も増やした。

 一方で、練習の厳しさは崩さない。バスケットは身長がものを言うスポーツだ。

 「身長の低い日本が勝つには、スピード。40分間ずっと走り続けなければいけない」

 徹底した組織力を磨くため、攻撃のフォーメーションだけでも数十通りにのぼる。プレーの約束事を書いた紙を体育館の壁に貼り付け、受験勉強のようだった時期もあった。

 アジアカップは4連覇。強化試合でも欧州の強豪から勝利を挙げられるようになった。主将の高田真希デンソー)は「トムがやりたいバスケットは世界を驚かせることができる。選手としてそれをコートで表現するのは楽しい」とまで言う。

 力をつけて迎えた東京オリンピック(五輪)。27日の初戦は、世界ランキング5位と格上のフランスを74―70で破った。30日の第2戦は五輪6連覇中の母国・米国と対戦。86―69で敗れたものの、相手監督に「日本はメダルを取れるチームだ」と言わしめた。

 選手に「毎日うまくなって」と言い続けてきたホーバス。「日本の成長を誇らしく思う。スタンダードをもっと上げて、米国にだって次は勝ちます」松本麻美

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