国を背負う戦い「おかしくないか」 五輪の意義を考える

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山極寿一さん

 コロナ禍の中でオリンピックを迎え、海外から多数の観客を呼び込んで経済を活性化させるという目的が消し飛んだ。改めてスポーツの祭典としてのオリンピックの意義を考えてみたい。

 スポーツの起源は遊びである。私は日本学術会議の会長をしていた2年前に、当時の鈴木大地スポーツ庁長官から依頼を受けて、「科学的エビデンスに基づくスポーツの価値の普及のあり方」について審議したことがある。そのとき、スポーツの本来の意味は「気分転換」であり、それが貴族たちの野外の余暇活動となり、身体を酷使する競技となったのは19世紀以降であることを学んだ。

 私が長く研究してきたゴリラもよく遊ぶ。取っ組み合ったり、追いかけ合ったりして、ときには短い休止を挟んで1時間以上も遊び続けることがある。互いに高いところに上って胸をたたき合う「お山の大将ごっこ」や、数頭が数珠つなぎになって歩く「電車ごっこ」に似た遊びもある。遊びの特徴は、経済的な目的を持たず、体の大きいほうが自分の力を抑制して小さいほうに合わせ、互いに役割を交代するところにある。

 身体を同調させる楽しさを追…

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    蟹江憲史
    (慶應義塾大学大学院教授)
    2021年7月26日11時0分 投稿
    【視点】

     山際さんのおっしゃる通りです。  参加することに意義があるオリンピックに、コロナ禍で参加できない人がいる現状は、クーベルタン男爵とすれば「意義がない」ということになります。改めて五輪の意義を考える時間としたいところです。  商業五輪は

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    田渕紫織
    (朝日新聞社会部記者=メディア、子ども)
    2021年7月26日9時59分 投稿
    【視点】

    「○○選手vs△△選手」のたたかいだと思って「○○がんばれー!」と応援していた4歳の息子が、周りの大人の言動に影響されて「日本vs××」だと思うようになり、「日本がんばれー!」と応援するようになるのを見て、複雑な気持ちになっています。

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