押しつけられた「復興五輪」 頼りない理念に冷めた目

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編集委員・石橋英昭

 震災からの復興の後押しと、被災地が復興した姿の世界へのアピール。それが東京五輪・パラリンピックの「大義」だったはずだ。コロナ禍に復興五輪が押し流されてしまった後、残るものは何か。21日、福島と宮城で競技が始まる。

 ちょうど10年前、石原慎太郎・東京都知事が五輪招致の再挑戦を表明する際、旗印にしたのが「復興五輪」の源流だ。海外には原発事故による放射能への不安の声もあったが、招致レースの最終盤、日本開催を訴える決め手になったのはやはり「復興」だった。

 「Tokyo2020」を勝ち取ったのは、震災2年半後の13年9月。

 「まだ五輪どころじゃない」と、少なくない被災者が冷ややかだった。多くの人が仮設住宅暮らし。村井嘉浩・宮城県知事は、開催を歓迎しつつも「(復興事業の)資材やマンパワー不足に拍車がかからないか」と懸念を口にした。

被災地の賛同へ示された「見返り」

 出発点は「五輪のための復興五輪」。だから被災地の理解を得ようと、政府や組織委からは「見返り」がいくつも示された。

 一番は、五輪そのものが被災…

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    中小路徹
    (朝日新聞編集委員=スポーツと社会)
    2021年7月20日21時31分 投稿
    【視点】

     東日本大震災からの復興というメッセージは、新型コロナ禍で薄れてしまいました。  「復興五輪」の位置づけについては、2018年に朝日新聞が福島放送と共同で福島県民を対象に行った世論調査をみても、「復興に役に立つ」と回答したのが43%、「役

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