「甲子園の借りは甲子園で」不完全燃焼だった先輩の分も
「大学でも野球をやるやつは3日間のオフ後、グラウンドに出てこい」。昨年8月、県岐阜商(岐阜市)の監督、鍛治舎(かじしゃ)巧(70)は、東邦(愛知)との引退試合後、当時の3年生らにこう呼びかけた。
泣き崩れる3年生に提案
コロナ禍で、5年ぶりの出場が決まっていた春の選抜も、夏の選手権もなくなった。校内クラスターの発生で県の独自大会への出場も辞退。自宅待機で練習もままならなかった。唯一の晴れ舞台となった昨夏の甲子園での交流試合は、試合勘が戻らず、明豊(大分)に敗れた。
「あんな夏は初めてだった」。鍛治舎は何度も泣き崩れる3年生の姿を目にした。指導者として、どう声をかけ、何を教えたらいいか悩み、考えた。通常、3年生は夏の大会後に引退する。コロナ禍で大学の入学予定者向けの練習会がなくなったこともあり、3月まで新チームと一緒に練習させようと決意した。「力をぶつける場がなく、まだ野球をやりたいという思いも強かった」
エースの野崎慎裕(3年)は、秋以降も熱心に白球を追う先輩たちの姿が目に焼き付いている。「野球ができる喜びをかみしめながら必死に練習していた。その姿を近くで見させてもらった」。野球ができることは当たり前ではないと学んだ。だから、今は納得するまでブルペンで球を投げる。「たとえ、明日から活動できなくなっても悔いのないよう今できる練習を全力でやるようにしている」
今夏、背番号5を背負う行方(なめかた)丈(3年)も先輩との練習を通じて大きく成長した。2年の秋からベンチ入りし、春の県大会でレギュラーをつかんだ。変化球のとらえ方、球を遠くに飛ばす方法……。積極的に質問し、打撃の技術を吸収した。1、2年対3年で紅白戦も実施。「先輩たちは球速も走るスピードも全く違った。背伸びしながら練習することで成長できた」と話す。
昨年は「信じられないことの連続だった」という。ただ、それを言い訳にせず、引退後も黙々と練習する先輩たちの姿をまぶしく感じた。今、チーム内でこんな言葉が飛び交う。「甲子園での借りは甲子園で返す」。不完全燃焼のまま、甲子園で敗れた先輩たちの無念を今夏に晴らす。それが先輩たちへの恩返しだと思う。
仲間と野球ができる喜び、思い出した
昨年の主将で青山学院大学でプレーする佐々木泰(18)は「自分にも後輩にとっても、次につながる半年間だった」と話す。全国優勝という目標を失い、気持ちを立て直して挑もうとした独自大会もなくした。日本一を目指し、朝から晩まで野球だけに熱中してきた3年間。何のためにやってきたんだろう――。行き場のない悔しさとむなしさでいっぱいだった。
そんな矢先の鍛治舎からの提案だった。
後輩たちと練習する中で、仲間と共にグラウンドに立てる喜びを思い出した。「自分の気持ちを整理する時間にもなった」。後輩たちには技術面だけではなく、チームの引っ張り方や、先輩としての立ち振る舞いなども教えた。
悔いなく、夏を終えられるように願う。「僕ら先輩のことを背負い過ぎず、自分たちの野球をしてほしい」=敬称略