日本統治下の台湾先住民を擁護 画家・塩月桃甫を再評価

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上林格
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 約100年前、日本統治下の台湾に近代美術の種をまいた画家、塩月桃甫(とうほ)(1886~1954)に光をあてたドキュメンタリー映画が完成した。日本政府に抵抗した台湾の先住民に寄り添った作品を発表するなど、芸術の自由を尊重した姿勢が現地で再評価されていることも伝えている。

 アトリエとおぼしき部屋に、口ひげを蓄え絵筆とパレットを持って立つ1人の男性。その横に制作中の油絵が写る。塩月が第6回台湾美術展覧会(32年)に出品した「母」だ。

 日本の統治政策に反発した台湾先住民が武装蜂起した霧社事件(30年)をモチーフに、日本軍の攻撃による砲煙の中を逃げ惑う親子の姿を描いた。日本人画家が台湾先住民の悲劇を題材にしたことは衝撃だったとされる。だが、セピア色の写真に写る作品の行方はわかっていない。戦後、日本に引き揚げた塩月の名もほとんど知られていない。

 現在の宮崎県西都市生まれ。本名は善吉。東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科を卒業し、大阪、松山で教師を務めながら画業に励んだ。16年、文展(文部省美術展覧会)に初入選。21年、妻子を伴い台湾に渡り、旧台北一中と旧台北高校で美術教育に携わりながら制作活動を続けた。27年には、台湾美術展を日本人画家3人と創設し、美術振興に力を注いだ。

原色多用のフォービスム(野獣派)風作品

 敗戦後、46年に宮崎に引き揚げるが、約25年間、台湾で制作した作品のほとんどは消失している。

 映画「塩月桃甫」(80分)…

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