祇園祭の鷹山、来年に復帰へ 6月19日にシンポ
日本三大祭りの一つで、例年7月に開かれる祇園祭(ぎおんまつり)は、コンチキチンのお囃子(はやし)とともに、大きな山鉾(やまほこ)の数々が京都市内を巡行するのがハイライトだ。そこに本格復帰を目指すのが「鷹山(たかやま)」。約200年ぶりの曳山(ひきやま)での巡行を来年果たすべく、準備が進む。
鷹山は、応仁の乱(1467~77)より前から山鉾巡行に参加していたとの記録が残る。曳山には「鷹遣(たかつかい)」「犬遣(いぬつかい)」「樽負(たるおい)」と呼ばれる3体のご神体人形を乗せていたとされる。
だが、江戸後期の1826年に暴風雨で壊れ、翌年から巡行に出ない「休み山」に。64年の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」に伴う大火が追い打ちをかけた。曳山本体や装飾品の大半が焼け、鷹山を出していた地元住民らは以後、残ったご神体を飾る「居祭(いまつり)」を続けてきた。
復興機運が高まったのはここ10年のこと。有志が2012年、「鷹山の歴史と未来を語る会」を結成し、15年に鷹山保存会ができた。古文書や絵画資料をもとに18年に基本設計案を作成。19年には、祇園祭を祭礼とする京都・八坂神社の掛け軸を納めた唐櫃(からびつ)(木箱)を担ぎ、巡行に参加するところまできた。
曳山の装飾品も、トルコやイランの豪華なじゅうたんが用意されるなど、仕上がりつつある。木製の本体は、文化財修復などを請け負う安井杢(やすいもく)工務店の京都府内の加工所で製作が進み、今秋には装飾品も付けた試し曳きをする予定だ。
追い風になっているのは、ほかの山鉾からの「応援」。部材を無償で譲り受け、修繕して使うことができるようになった。
「様々な人の力を借りて、鷹が長い眠りから覚めようとしている。本格復帰がコロナという疫病を退散した証しにできれば」
保存会の山田純司理事長(66)は、そう意気込む…